佐賀大学医学部附属病院 病院長/胸部・心臓血管外科教授 森田 茂樹
四月から佐賀大学病院の病院長に就任しました。
私の出身は福岡で、父は生物学者だったのですが、祖父は熊本医専の出身で最後は武蔵野で内科を開業していました。その祖先は熊本の藩医だったようです。
佐賀は、先取の気風に満ちた鍋島直正公に導かれて幕末の日本を先導したという歴史を有しますが、その原点は教育に重きをおいた藩の方針によるものだったと司馬遼太郎の文章にありました。
大学病院は、医療だけでなく医学教育における役割も大切な要素の一つですので、その意味でも自分自身の重責を感じています。
先ほど、父は生物学者だったと述べましたが、私は父の留学の関係で、小学校1年生の時にロサンゼルス、2年生の時にはニューヨークの普通の公立学校に通っていました。その当時、1960年代初頭ですが、日本人学校もありませんでしたので、現地の同じ年の子供たちと毎日机をならべて過ごしました。今、振り返ってみると貴重な経験だったと思います。その後心臓外科医になってから6年間アメリカに滞在することになったのですが、小学生時代の経験がなければ、また違った展開になっていたかもしれません。今しきりに大学や医療の国際化が叫ばれていますが、少し視点を変えたアプローチも必要ではないかと思います。大学病院の国際化も私の任期中に取り組みたい課題のひとつです。
当院の「患者・医師に選ばれる病院を目指して」という理念は、大変よいミッションだと思っています。患者さんに選ばれる病院を目指すのは当然のことですが、病院の職員が自分たちの仕事、職場に誇りをもって働けるような病院にすることも大変重要なことだと思っています。よい人材が集まらなければよい医療はできません。その意味で「患者・医師に選ばれる」を「患者・医師・医療人に選ばれる」と読み替えてもよいかと思います。
働く人に選ばれる病院にしなければ、地方の病院は立ち行かないです。福岡や東京・大阪の病院のようにロケーションで選ばれることは、期待できません。働きやすい環境と、中央に比べても遜色のない先端医療を可能にする施設を充実させることが重要だと考えています。低侵襲・遠隔操作手術を可能にするダ・ヴィンチの早期導入、ハイブリッド手術室での大動脈瘤のステント治療にもいち早く取り組みました。また最近では開胸手術をせずにカテーテル治療で心臓の弁を植え込むことにも成功しています。
宮﨑前病院長は、まずしっかりとした経営基盤を確立することに尽力され、そのゆるぎない基盤の上に新しい器、つまり病院の再整備や先進的な設備を整えられました。そのおかげで地方の大学病院の中でも一、二を争う、非常に安定した経営体質と充実した設備を実現することができました。それを可能にしたシステムをより精緻なものにすると同時に、さらに高い標準をめざした医療の質の改善に努めたいと考えています。
盤石な経営基盤を確立した上で、今後は分野によっては移植医療や再生医療へも機が熟せば挑戦したいです。また佐賀県はコンパクトな県ですから、県や医師会、地域の病院と連携しやすい条件が整っています。全国のモデルになるような、県民の皆さんのための医療データの活用プロジェクトを進めたいと思います。
佐賀県に住んでいても、国内でベストの治療を受けられるシステムを作りたいと思います。佐賀県でできないこともあります。例えば心臓移植は佐賀県ではできません。しかし人工心臓の植え込みはできるようになりました。
県内で心臓移植が必要な人がいれば、まず佐賀大学で人工心臓の植込手術を行ない、退院して自宅で待機し、心臓移植の順番がきたら九大で移植を受ける。そんなスムーズな連携の実績を積み重ねたいと思います。そのためには、院内でも診療科の垣根を越えて、その一人の患者さんにベストな治療法を提供しようとする意識や文化(システムとマネジメント能力、コミュニケーション力)も重要になってきます。
宮﨑前院長が尽力されて実現したドクターヘリが今年一月から運行を開始しています。今年は三百件を超える出動になると予想しています。佐賀県民の命を守る最後の砦として、ベストの治療を提供する機能を高めたいと思います。