母の願いが支えになって

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開設40周年迎える小倉第一病院 中村定敏理事長に聞く

2002年11月4日発行のアエラ(朝日新聞社)で、《よい病院ベスト100》の1位に選ばれたという。女性週刊誌でも《全国いい病院ベスト65》の1位になっている。 すご腕の経営者に違いない...。病院玄関前ですでに緊張していた記者は、職員が自由にパソコンを使えるMIP(メディカルインフォーメンションプラザ)に案内され、中村定敏理事長を待った。

「こんな服装で歩き回っていますとね、どこかの作業者と思われるのか、来院された方からいろいろ声をかけられたり、入院患者の家族から階を尋ねられたりするんです。そのあと聴診器を首から下げて病室を訪れると、びっくりされますね」。......今から磯釣りにでも出かけるようなベスト姿で現われた中村理事長はそう言って、いたずらっ子のような顔で笑った。

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【Profile】
1955 福岡県立嘉穂高校卒
1961 九州大学医学部を卒業し第二内科入局
1967 九州歯科大学内科学助手 1968 済生会八幡病院医長
1972 北九州クリニックを開設し、1985 小倉第一病院に改組

福岡県医師会専務理事、全日本病院協会理事、九大第二内科 同門会会長、厚生労働省医療安全対策検討会議委員、日本医師会 医療安全対策委員などを歴任。1970 年と1993 年に県医師会長賞、 1998 年に県知事賞、2006、2012 年に厚生労働大臣表彰を受賞。

―働きやすい、通院しやすい、治療しやすい病院として、もっとも核となるものは何でしょう。

実は学校の先生になりたかったんですよ。映画で「二十四の瞳」なんか見てね。ところが母親が病弱でね、しかも夜になると症状が出るんです。

当時は電話もありませんでしたから、開業医のところに診察をお願いに行き、終わったらまた医院までついて行って薬をもらって帰る。そのころには母に注射が効いて苦しみから解放されていました。それが中学にあがるころのことです。

高校生になり、教師になりたいことを知った母は、「私みたいに病気で苦しむ人を助けてくれないか」と言いました。それで医者になろうと決めたんです。

だから九大に入っても臨床一本で、基礎的な研究には目もくれませんでした。なんとか母親をよろこばせたかった。幸い、第二内科の久山町研究が始まり、そこでも試験管なんか振らずに、全部臨床でした。

そして、いっそ臨床医になるんだったら、一番きびしいところで修業しようと思い、九州で初めて人工腎臓を手がけた病院に勤めました。当時の透析時間は今よりずっと長かったのですが、「苦しんでいる人たちからありがたがられる存在になりなさい」との母の言葉が支えでした。

開業してからも、患者さんのためになるなら何でもやってみようということで、改善提案制度や小集団活動にも積極的に取り組みました。派手ではありませんが積み重なると効果は大きいんですよ。それでいろんな団体や省庁から賞をもらったり、雑誌やテレビで紹介されることにつながったわけです。

定年制がないのも職員には大きなメリットのようです。60歳の近辺で役職から降りてもらいますが、あとは楽な気持ちで、働けるだけ働いてほしい。

我々みたいな透析の病院で20年も30年も治療を続けられる患者さんには、昔からいる医師のほうが安心感があるんですよ。「お互い、年を取りましたなあ」とか言ってね。とにかく患者さんとの良い関係作りには最大限に気を配ります。

―ワークライフバランス(仕事と生活の調和)も重視されていますね。

医療界ではまだあまりやられていないようですね。北九州市がこれを推進しようとした時、うちがすでにやっていたのですぐに参加しました。推進月間の印刷物に当院の職員が多数登場したこともありますし、賞もたくさんいただきました。

もともと透析という仕事は典型的な3Kですから、その状況を改善する必要があります。だから開業当初から当院は完全週休2日制です。有給休暇の消化率は100%。取らなかったら注意されます。場合によっては先取りでもいいんですよ。

早朝出勤した場合は早く帰れて井筒屋で買い物ができるようにするとか、そんなふうに経営も現場も、そして患者さんも、互いに良い状況を作ろう、楽しくやろう、そう努めていたら、時代が変化していく中で、先駆の病院がすでにある、みたいに思われたようで、全国から注目されて見学者もたくさん来られました。

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写真下=理事長秘書の柴田典子さんは、「短大時代に理事長の講義を聞き、この病院に勤めたいと思った」と話す。

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―カルテの電子化はされているのでしょうか。

いえ、コンピュータはたくさんありますが電子化はしていません。ずっと紙のままです。理由は震災や停電に弱いこととセキュリティの危うさ。

医師と患者さんが向きあうには紙の方がいいでしょ。だから当院のカルテは患者さんも読めるように日本語で書き、医師のイラスト入りのシールが貼ってあるんですよ。「もう少しがんばって」とか「うまくいっています」みたいなメッセージを、「今日はなにを貼ってくれた?」みたいな感じで患者さんがちらっと見て、自分の状況を察するんです。

―まだ見えていないものを決断していく大胆さには、何か秘訣のようなものがあるんですか?

最初に言いましたように、私が医者になったのは母親の希望なんですよ。だから徹底的に患者さん本意になっているんです。私の学位論文(脳血管性障害における眼底所見の意義に関する臨床・疫学 的研究)も、患者さんのデータを基にし、実際に患者さんから聞き集めたものです。立脚しているところが患者さんと、その悩みです。

―母親の存在は大きいですねえ。

私は母親っ子でしたか らね(笑)。


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