九州医事新報社 - 医療・医学の〝今〟を伝えて62年

大学、医師会と連携し地域医療を支えていく

小林市立病院坪内 斉志 事業管理者(つぼうち・ひとし)1984年鹿児島大学医学部卒業。鹿児島大学医学部附属病院(現:鹿児島大学病院)、鹿児島県立薩南病院、小林市立病院事業管理者兼病院長などを経て、2014年から現職。  全国でも都市部以外は医師不足に悩まされているが、宮崎県西部の西諸地域も例外ではない。同地域の医療の中核を担う小林市立病院は、救急患者の受け入れを強化したことで、2019年9月、宮崎県救急医療事業功労者として表彰された。今後の展望などを、坪内斉志事業管理者に聞いた。 ―宮崎県救急医療事業功労者として表彰されました。  西諸医師会から推薦いただきました。病院としてこういった賞をいただけるのはとても有り難いことです。 私たちの病院がある小林市や高原町、えびの市の西諸地域も、全国の地方と同じく医師不足が顕著な地域です。加えて当院はもともと鹿児島大学の出先機関なので、医師が鹿児島に帰郷し、医師不足で外来ができない事態にもなりました。 そこで医師会に相談し、外科、整形外科など外科系が充実している当院で、救急車による搬送などの2次救急と外科、悪性疾患などの手術と入院医療にできる限り対応し、それ以外の診療科を他の病院に担ってもらう形を取りました。救急の受け入れ数は2010年に年間437件まで減っていましたが、私が病院長になってからは700~800件ほどと、地域でかなり多く受け入れることができていると思います。 西諸医師会が当院のすぐ横にあります。スタッフが手薄になる場合、例えば学会や研修など事前に分かっているスケジュールについては早めに伝え、体制を整えてもらうなど連携がしっかりと取れています。 地域住民の方が「地域医療を考える会」という団体を立ち上げてくださっており、地方病院の在り方を一緒に考え、理解し合う関係もできています。 ―産婦人科再開など新しい動きも。  分娩のできる産婦人科が2017年に西諸地域でゼロになりました。医療圏でお産の場がなくなるのは、県内でも初めてだったのではないでしょうか。 県外に勤務していた地元出身の医師から、地域の現状を知って、自ら当院でやりたいと申し出があり、2019年の1月に産婦人科を開設しました。8月までで60例ほど当院で出産しています。 とはいえ、常勤は彼1人。帝王切開も増えている今、件数が増えるごとにリスクも増している状況です。受け入れ件数に制限を設けるなど、対応が難しい患者さんは、宮崎大学など県央の病院に早めに送るなどの対策を取っています。地元のお産の場を守るためにも、診療科を継続する方法を模索し続けなければなりません。 これまで週に1回の小児科専門外来は宮崎大学、また日曜日当番医は月に2~3回、宮崎大学および鹿児島大学の派遣によるサポートを得ていました。その中に常勤を希望する医師がいたことで、2019年4月、およそ10年ぶりに小児科を常設することができました。 以前から、地元の開業医の先生方に頑張っていただいていましたが、負担になっていたのは確かです。日曜に空白がないよう住民の皆さんと約束しており、当院の常勤医に派遣医師を加えて、年間休日の8割程度はカバーできるようになりました。 ―今後の展望は。  地方の病院にとって、地域医療の維持は最も大きな課題です。そのためにも、地元の宮崎大学との連携を密にして、医師の派遣を定期的に確保していきたいと考えています。 宮崎大学医学部地域医療・総合診療医学講座の吉村学教授は、地域医療研修の一環として県内各地に医学生を送り出しています。その影響もあって、宮崎大学や県立宮崎病院から当院へ派遣される初期研修医の数も増加傾向。後輩に当院を勧めてくれる学生もいるようで、うれしいですね。 地域住民の皆さんに安心した生活を送っていただけるよう、今後も改革を進めていきます。 小林市立病院宮崎県小林市細野2235―3☎0984―23―4711(代表)https://kobayashi-city-hp.jp/

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狭い「超一流」でなく全部「一流」の役割を

医療法人 JR広島病院河本 昌志 理事長・病院長(かわもと・まさし)1979年山口大学医学部卒業。島根医科大学医学部附属病院(現:島根大学医学部附属病院)、広島大学大学院医歯薬学総合研究科教授、広島大学病院副病院長などを経て、2019年から現職。広島大学名誉教授。  戦前に当時の鉄道省が所管する広島鉄道病院として開設。2016年に医療法人JR広島病院となった。2019年4月に就任した河本昌志理事長・病院長は麻酔科の専門医としての臨床経験と研究実績、医師の派遣や養成を担った教授としての経験も踏まえ、新たな時代の医療に意欲を燃やす。 オールマイティーな医療を打ち出す  キャリアの多くの時間を広島大学で送ってきた。JR広島病院での勤務歴はなかったが、教授時代に医師の派遣などを通じて関わってきた。「診療科はほぼすべての分野をカバーしており、医療の水準も高い。地域の医師会から深い信頼を得ていて、医師の教育・養成でも大きな役割を果たしている―。そんな、とても重要な病院の一つだと認識していました」 医師不足の深刻化により各地で医師の引き上げを進めざるを得ない。そんな時期も経験した。JR広島病院を含めて、できる限り踏ん張ろうと決めていた。「まさか自分が将来、こちらの病院でお世話になるとは思っていませんでした」と思い返す。 JR広島病院として打ち出し続けるべき強みは「オールマイティーな医療」だと言う。どの領域でも標準以上の医療サービスを提供することが目標だ。「地域医療を担う総合病院として『この領域は超一流』だが、十分でない領域もある、ではだめ。すべて『一流』を提供しなければ」 何もできなかったもどしかしさが原点  その考えは、医師を志すきっかけとなったこんな経験から生まれた。 大学受験を控えた高校3年の冬、父が病に倒れた。広島県内の救急病院に運ばれたが、「脳動脈瘤(りゅう)の破裂だったと思います。医師になった立場で振り返ると、そのとき親父が受けた医療は適切だったのか疑問を感じます」 自分に知識はない。親族や知人にも医療関係者はいない。「目の前で起きていることに対して何もできない」。そのもどかしさが初めて医師という職を意識させるようになった。 現在の大学受験で言う「後期試験」で山口大医学部に合格。「前期試験」で合格していたのは理学部。どちらの道に歩むかを考えた結果、医学を選んだ。 地方の病院だから、少々足りない部分があっても仕方ない―。そんな考えが医療現場にあるのだとしたら、自分の手で変えていきたいと思った。「それまでは父と同じエンジニアになり、研究開発の道へ進むのが夢でした。実は今でも、その気持ちが完全に消えたわけではないのですけどね」と笑う。 臨床医としての意欲もなお高まっている  青春時代のつらい経験は「患者とのコミュニケーション」という点でも、自身に影響を与えた。「父の入院先の医師から状況や治療方針について、きちんと説明を受けられなかった」 同じ思いを患者にさせてはいけないと、「十分な説明と理解、承諾」という基本を徹底してきた。「医療の現場でインフォームドコンセントは当然のことになってきた。うれしいことです」と話す。 夢だったエンジニアとしてではなかったが、大学教授として麻酔科学の研究に心血を注いだ。「運が良かった。臨床と研究の面白さはまったく別物です」 麻酔科領域の特殊な疾患やペインクリニックなどに取り組み、悪性高熱症の研究では学会のガイドライン作成につなげた。 4月の病院長就任後、週1回のペインクリニック専門外来を新設した。麻酔科部長と共に頭痛、肩こり、腰痛などの痛みを中心に診る。「生活の質を高められる分野。より多くの患者さんに認知されるよう、頑張ります」。臨床医としての意欲も陰る気配はない。 医療法人 JR広島病院広島市東区二葉の里3─1─36 ☎082─262─1171(代表)http://www.jrhh.or.jp/

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市立稚内病院 開院60周年

1人でも多くの「地域を診る医師」を  宗谷地方の中核都市である稚内市は、ロシア・サハリンを望む「国境のまち」。自然豊かなこの地で長年にわたり地域医療を支えてきた市立稚内病院が2019年、開院60周年を迎えた。地域と共に、どのような医療をつくり上げようとしているのか。國枝保幸院長の思いを聞いた。 ─節目の2019年はいかがでしたか。  当院は1959年、北海道社会事業協会稚内病院との統合で生まれました。稚内市を含む1市8町1村の宗谷地方における2次救急医療機関です。  本来であれば、50周年を迎えたタイミングで記念事業を実施するのが一般的だと思います。そのときは何も行わなかったものですから、今回の「還暦祝い」には、より強い思いを込めて職員みんなでアイデアを出し合いました。  そうして2019年9月に開いたのが「病院祭」です。駐車場の一画にイベントステージを設置したほか、子ども向けの「縁日」やフリーマーケットなど、地域の方々と楽しい時間を過ごしたいと考えて、さまざまな企画を用意しました。 院内では内視鏡システムの操作体験など、医師の指導のもとで実際の医療機器に触れることができるスペースも設けました。骨密度や血管年齢などを計測できる無料健診コーナー、普段は病院の関係者しか入れない場所を巡る院内体験ツアー。また、当院小児科の石岡透副院長による「子どもの救急」と題した講演会も開きました。  病院祭の開催時間は3時間ほど。子どもから高齢者まで、およそ500人の方々にお越しいただきました。病院への関心が高いことを実感できましたので、2020年にも開催したいと考えています。 ─地域との交流に注力。  私が当院に赴任したのは1992年。当時、強く感じたのは、地域とのつながりをもっと強める必要があるということでした。  夏休みの「中学生医療探検講座」の実施は、私が院長に就任したときに掲げた目標の一つでもあります。将来、医師を目指す若者が少しでも増えてくれたら。そして地域の医療がどのような現状にあるのか、みなさんにもっと理解していただくことができたら。そんな思いがあります。 例えば稚内市の救急医療体制は十分に整っているとは言えません。当院でも1次救急、2次救急の受け入れに対応している中で、医師不足による体力的、精神的な負担増を避けることは難しい状況です。このままでは、医療の質が低下してしまうのではないかとの危機感もありました。  そうした当院が置かれている状況をお伝えすることで、地域のみなさんが求める医療の在り方にも、少しずつ変化が現れてきたと感じています。「病院祭」にたくさんの方が足を運んでくださったのは、信頼関係が深まったからこそだと考えています。 ─今後について教えてください。 國枝 保幸 院長  さまざまな患者さんを受け入れている当院は、幅広い疾患に対する柔軟で的確な対応力、総合的な診療能力を培うのに適した環境ではないかと考えています。 当院が基幹病院となって、名寄市立総合病院(名寄市)、道北勤医協宗谷医院(稚内市)、礼文町国民健康保険船泊診療所(礼文町)と連携して若い医師たちの研修を行う「日本最北端総合診療医養成プログラム」を展開しています。プログラムの期間は3年間。1人でも多くの「地域を診る医師」が育ち、地域医療を支えてくれることを願っています。 市立稚内病院北海道稚内市中央4ー11−6☎0162─23─2771(代表)https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/hospital/

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国家公務員共済組合連合会 平塚共済病院 創立100周年

地域と共に歩んで100年 新病院建設にも意欲  1919(大正8)年に開院した平塚共済病院。神奈川県湘南西部地域の中でも、とりわけ人口の多い平塚市を中心に、周辺地域に暮らす人々の医療を支えてきた。100周年を迎えた平塚共済病院のこれまでの歩みと、今後病院が目指すべき存在意義について稲瀨直彦院長に聞いた。 ―平塚共済病院が開設された経緯は。  当院はもともと海軍火薬廠(しょう)の中にあった診療所が始まりです。当時は今のように地域の誰もが来るような病院ではなく、限られた人が利用するような小さな病院でした。  1945年7月に空襲で建物の3分の2が焼失し、昔の資料はほとんど残っていません。残念ながら顔写真がわからない歴代の院長先生もいらっしゃいます。戦争と共に歩んできた、歴史の深い病院であることがお分かりいただけると思います。  1945年10月に「平塚共済病院」へ名称を変え、一般市民の方を診療する病院へと変わりました。  平成に入ってからは、リハビリセンター、透析センターを拡張。さらに2002年には脳卒中センターと心臓センターを開設。地域内の循環器・脳の疾患に迅速に応えるため、24時間365日患者さんを受け入れる体制を整えました。  昨今では平塚市民病院との連携も強化しており、救急受け入れは年間5000件超。時代のニーズを捉え、「市民に開かれた身近な病院」として歩んできました。 ―地域の連携は。  行政やクリニックの先生方との連携はかなり取れていると思います。保健師さんや救急救命士さんと話をする機会も多いですし、病院主導で開催する「市民公開講座」も好評をいただいています。地域医療支援病院として承認をいただいている以上、「地域に質の高い医療で貢献する」という役割が求められています。  その一環として、「在宅医療・介護連携情報システム」(メディカルビッグネット)の運用を2020年の4月に開始する予定です。クリニックだけでなく、介護施設、慢性期病院とのさらなる連携強化が狙いです。  病状が落ち着いた患者さんの転院先をどこにするかは、中核病院であれば皆が抱えている課題です。  医療側と介護側が患者さんの情報を共有することによって、よりスムーズな入退院調整業務が図られ、患者さんにより質の高い医療を提供できる、と考えています。全国の病院のモデルとなれるように、積極的にこの課題に取り組んでいきたいですね。 ―今後の病院のあり方は。 稲瀨 直彦 院長  「患者さんの視点に立った医療を提供する」ことがやはり原点にあります。  そのためにわれわれができることは、たくさんあると考えています。一つは研修生の受け入れ態勢を強化し、教育体制を整備すること。「ここで働きたい」と志望する医師が一人でも増えたら、医師不足解消に向けた大きな前進になると思います。  そしてもう一つ、新病棟建設を進めていくことが使命になると感じています。増築を繰り返して拡大してきましたが、建物的にも古さが目立ってきました。高度な医療を実施していく上でも、また超高齢社会において病院と地域が一丸となって患者さんを迎え入れていくためにも、病院の設備や建物自体が万全でなくてはなりません。  日々、目の前の患者さんと向き合いながら、今後も地域に開かれた健全な病院運営をしていきます。 国家公務員共済組合連合会 平塚共済病院神奈川県平塚市追分9―11☎0463―32―1950(代表)https://www.kkr.hiratsuka.kanagawa.jp/

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遠隔外来をきっかけに オンライン診療の実現へ

東北大学大学院医学系研究科 てんかん学分野中里 信和 教授(なかさと・のぶかず)1984年東北大学医学部卒業。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校留学、東北大学医学部脳神経外科、広南病院副院長などを経て、2010年から現職。  全国の医学部でもてんかん分野に特化した教室は数少なく東北大学の実績は高い評価を受ける。中里信和教授は2019年5月、オンラインによるセカンドオピニオンを開始。医師不足など東北の医療課題解決の糸口ともなる遠隔医療に手応えを感じている。 ―オンラインセカンドオピニオン開始のきっかけは。  2011年の東日本大震災の後に始めた遠隔てんかん外来がきっかけです。もともとは震災の復興支援に役立ててほしいと、米アーカンソー州の友人である医師がハイビジョンテレビによる遠隔会議システムを無償で提供してくれ、これを気仙沼市立病院と結び診療開始。いざ診察になると患者さんも私も画面を介していることも忘れ、互いの話に没入できます。オンラインでの診察は十分可能だと確信しました。  現在も診療を続けていますが、日本の医師法では診療は対面が基本ですので、気仙沼側には患者さんの横に医師が同席しています。  震災後、東北では医師確保がますます難しくなっています。当教室にも東北各地から医師派遣の要望があります。しかし、てんかん専門医は全国的にも数少なく、教室としても期待に沿えていないのが現状です。  そんな時に知ったのがメドレー社のオンラインによる診療システム。患者さん側にパソコンやスマートフォンがあれば受診が可能ですので、利用しやすいと考えました。  現状では医師のオンライン診療には多くの制限があります。「再来では条件付き可能だが新患では不可」などです。厚生労働省に問い合わせたところ、新患の場合「診察」は不可ですが「セカンドオピニオン」なら可能ということが分かったのです。ただし自由診療(私費)という条件です。そこで2019年5月から本格的にスタートしました。 ―手応えはいかがでしょう。  患者さんはコンスタントに増えています。費用は1時間4万4000円。当院に来院するセカンドオピニオンは3万3000円。差額は、オンラインシステムへの費用です。診察前には、主治医に患者さんのカルテや紹介状をいただき、診察後は返礼状をお送りしています。受診する患者さんの主治医はてんかんの非専門医だと考えていましたが、実際には半数が専門医にかかっていました。患者さんと話をして、心理社会面でのケアの重要性をあらためて感じました。  もともと私の外来では初診はお話を1時間しっかり聞くのが方針です。病状はもちろん患者さんがどんな人生を送りたいのか、といった点まで深く聞き、最善の治療を考えます。セカンドオピニオンを受けることで、安心して治療を続けてほしいと考えています。  具体的な成果が見えてきたことで、東北大学病院全体で、遠隔診療の課題に取り組んでいこうという機運が高まっています。他の診療科でもオンラインによるセカンドオピニオンが始まり、遠隔診療ワーキンググループも立ち上がりました。  わが国は、欧米や中国と比較しても遠隔診療について後れを取っているように思います。国内にはICTの技術があるのですから、それをどう生かすのかを考えるべきです。2018年、オンライン診療に関する診療ガイドラインが発表されましたが、まだまだ多くの規制があります。  東北地方は地理的に見ても、西日本と比較すると医師確保には不利な点も少なくありません。加えて東日本大震災による被災地の支援、働き方改革の実現など多くの課題もあります。  しかし、子育て中の女性医師が自宅で診察をしたり、医師の少ないへき地を遠隔で支援したりできればと思います。遠隔医療の実現は、東北だけでなく日本全体が抱えるさまざまな医療課題を解決する突破口になるのではないでしょうか。 東北大学大学院医学系研究科てんかん学分野仙台市青葉区星陵町1―1☎022―717―7000(代表)http://www.epilepsy.med.tohoku.ac.jp/

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地域医療支える自負置かれた状況で全力を

尾道市立総合医療センター 尾道市立市民病院大枝 忠史 院長(おおえだ・ただし)1983年岡山大学医学部卒業、同泌尿器科学教室入局。独ギーセン大学客員研究員、尾道市立市民病院副院長などを経て、2019年から現職。  泌尿器のがんを主な専門とする大枝忠史氏。39歳のときに尾道市立市民病院に赴任して以来、「うちが尾道の地域医療を支える」との自負を胸に仕事と向き合ってきた。病院を取り巻く環境が変わり続ける中、今年4月に院長就任。抱負を聞く。 引き受けた理由は「何事も逃げない」  人が優しい。海がきれい。魚がうまい。「お気に入り」の町で医師を務め、23年目。院内でがん治療の中心的役割を担い、前立腺肥大症では患者の身体的な負担が軽いレーザー治療を積極的に取り入れてきた。  地道な医療活動に対する高い信頼はもちろん、病院内部を熟知する貴重な存在。それでも、院長就任を打診されたときは尻込みした。「ドクターをまとめる人間性も経営の力量も、あるとは思えませんでしたから」。真顔で謙遜する姿からは、飾らない人柄がにじむ。  岡山大学泌尿器科学の那須保友教授に相談し、こう言われた。「『やりたい、やりたい』と言う者がなるより、『やりたくないんだけど』と言う者が就いた方がええ」。その真意は測りかねたが、「何事も逃げない」との自身の信条に立ち返り、引き受けた。  病院を熟知しているからこそ、現実の厳しさを痛感する。地域の人口の減少、患者の減少、医師不足の深刻化。「僕がここでお世話になって以降で今が一番厳しい状況です。でも、嘆いていても始まらない。置かれた状況で何ができるか、全力で考えないと」 患者の利益と業務改善両立を  院長就任に際し、厳しい状況を全職員に伝えた。「神風は吹きませんよ」と。医者は増えない、患者は増えない。そうした前提の下で、職員が誇りを持って働くためにはどうすればいいか。「やはり収益を上げることは、働くモチベーションを高める大きな要素になります」と強調する。  病院の収支は、尾道市からの特別繰入金がなければ毎年度、赤字。改善を目指し、「まずは、やれることから」と着手したのが「診療報酬の請求漏れ」の防止だ。  6月から本格的に取り組み、レセプトの分析ソフトも取り入れた。「きちんとした請求管理が業務全体の改善につながり、ひいては患者の利益にも結びつく。医事課の職員を含め、やる気を持って取り組んでくれています」と手応えを語る。  地域医療構想の下で担う尾道市立市民病院の今後の役割をどう描くか。大枝院長は「うちは急性期を扱う病院だが、高度急性期とは言えない。ある意味、中途半端な病院」と分析する。「しかし、救急車の受け入れ台数の多さでも分かるように、尾道の地域医療をうちが支えているのは紛れもない事実。地方病院の医師確保は難しさを増しますが、まずはしっかりと今の診療体制の維持に努めながら、将来的な方向性も考えて動いていこうと思っています」  医師を志したのは「たまたま」だという。親族に医師がいたわけでも、子どもの頃から「人助け」の使命感に燃えていたわけでもない。大学進学に際し、「難しいけど頑張ればなんとかなりそうな、ちょうどいい目標」と思い、医学部を受験した。  進学後は、祖父が前立腺がんで亡くなったこともあり、泌尿器科に関心を寄せた。学位取得の研究テーマは「男性不妊」。不妊治療は今や高い注目を集める分野だが、当時は「マイナーな泌尿器科の中でも特にマイナー」だったという。「僕はもともとがマイナー志向。長いものに巻かれないことを好むんでしょう」  高校、大学と続けたサッカーのポジションは、今で言うボランチ。「馬のような運動量」を生かし、守りにも攻めにも顔を出せる面白さがあった。病院トップとして攻守の要となった今、いろいろな人と対話しながら尾道の医療を支え続ける覚悟だ。 尾道市立総合医療センター 尾道市立市民病院広島県尾道市新高山3-1170-177 ☎0848-47-1155(代表)http://www.onomichi-hospital.jp/

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地域を知り地域に応える医療を

社会医療法人駿甲会 コミュニティーホスピタル甲賀病院甲賀 啓介 院長(こうが・けいすけ)2000年大阪大学医学部卒業。2009年同大学院卒業(医学博士)。大阪警察病院消化器内科、大阪大学医学部附属病院消化器内科、コミュニティーホスピタル甲賀病院副院長などを経て、2019年から現職。  2019年、コミュニティーホスピタル甲賀病院は開設から30周年を迎えた。節目に当たるその年に、院長に就任したのが甲賀啓介氏だ。次代を担う、若きリーダーの素顔、そして今後描く未来とは。 新天地・焼津で地域医療を担う  祖父、両親、そして姉や弟も医師という環境に育った甲賀院長。幼い頃から「医師にならなければならない」と、自然とこの道に進んだ。大阪市内の病院で、臨床や研究に充実した日々を送っていたこともあり、「病院を継ぐ考えは、当初は全くありませんでした」。  父親の甲賀新(しん)名誉院長と母親で前院長の甲賀美智子理事長は、共に九州大学医学部出身だ。実は、甲賀院長は福岡市で生まれ育った。  祖父の出身地である静岡県焼津市に、両親が病院を開設したのは1989年。当時、甲賀院長は中学2年生だった。全寮制の学校で両親とは離れて暮らしていたこともあり、甲賀病院の開設は遠い出来事でしかなかったという。  病院を継ぐことを考え始めたのは、非常勤として甲賀病院で働き始めてから。心境に変化が生まれた。 「研究を続けるのか、家を継ぐのか」。迷いを捨て覚悟を決めたのは30代半ばだった。 広報活動を進め診療科をアピール  いざ甲賀病院で働き始めたものの「自分の関西弁が、患者さんに受け入れられなかった」と冗談を交えて語る。これまで馴染みのない静岡県焼津市での歩みは、決して順風満帆なものではなかった。  大阪大学医学部附属病院の消化器内科医として、内視鏡での検査や治療での実績を重ねてきたつもりだった。ところが、焼津の患者さんからは言葉の違いもあるのか、少し距離を置かれていると感じた。  「このままでは、消化器専門外来は閑古鳥が鳴く日々。そこで、まずは消化器内科や内視鏡検査について知ってほしいと市民向けの講演を始めました」  院内にポスターを貼ったり、患者さんに参加を呼びかけたり、積極的に広報活動を開始。地域のクリニックにも足を運び、肝臓の専門医であることを知ってもらうことにも努めた。  「実際に講演会を開いてみると、テーマによって集客数が違っていて、驚きました。地域に合った講演のテーマの決め方、マーケティングや広報の重要性を感じました」  その成果もあって、当初は10人程度だった参加者も、今では200人を超えるまでになった。受診に訪れる患者数も次第に増えていった。 自ら足を運びニーズを知る  「地域に足りない医療とは何か」。甲賀院長は常に地域のニーズを探るよう、心掛けるようになった。地元の救急隊員と話していた時に、隣接する静岡市に救急患者が搬送されていることを知る。  そこで、焼津の救急医療を充実させたいと早速、循環器の医師を招き体制づくりを始める。その結果、2017年は年間100台だった搬送数が、2018年は1100台と、1年間で11倍にも伸びた。「今後も急性期医療の充実は必要だと感じています」  さらには、伊豆半島南部に診療所を設け、へき地医療にも取り組んでいる。静岡県は医師の偏在が顕著で、特に伊豆半島は医師不足が深刻だ。甲賀院長は毎週約3時間をかけて診療所に通う。  「日本の医療の課題を実感します。やはり、実際に足を運ばなければ見えてこないものがあります。どこに、どのようなニーズがあるのか、失敗を恐れずに挑戦していきたいと思います」 社会医療法人 駿甲会 コミュニティーホスピタル甲賀病院静岡県焼津市大覚寺2―30―1 ☎054―628―5500(代表)http://www.sunkohkai.or.jp/

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総合診療で守備範囲を広げ医師不足を補う

公益社団法人地域医療振興協会 あま市民病院梅屋 崇 管理者・病院長(うめや・たかし)1996年自治医科大学医学部卒業。2006年豪ニューサウスウェールズ大学修士課程修了。社団法人地域医療振興協会理事、東京北医療センター副管理者などを経て2019年4月から現職。  1947年の前身設立以来、70年以上の歴史を持つあま市民病院。この4月、公益社団法人地域医療振興協会による運営が開始された。管理者で病院長の梅屋崇氏に同病院再生にかける意気込みや取り組みを聞いた。 ―2019年4月、管理者・病院長に就任されました。  2010年に海部郡七宝町・美和町・甚目寺町の3町合併によってあま市が誕生し、公立尾陽病院からあま市民病院に名称変更しました。公立尾陽病院時代には入院患者数が減り、老朽化もあって医療サービスが十分提供できていなかったと聞いています。主な原因は医師不足ということでした。  あま市は地域に必要な安定した医療の確保と経営の効率性を求めて指定管理者制度を導入し、公募。当社団法人地域医療振興協会が応募して受託したため、私は昨年4月に開設準備室本部長として着任しました。10月からは6カ月前倒しして診療を始めました。  自治医科大学は各都道府県のへき地など地域医療を充足させるための学生を育てるために設立されました。  当法人も自治医科大学の卒業生によって設立され、全国に支部があり、地域を医療で支えて町おこしや村おこしができるようなサポートがしたいと、自治体と協力して医療機関を運営しています。 ―制度の導入で医師不足は解消されたのでしょうか。  医師不足が解消されたわけではありません。しかし、総合診療医が増えたことで守備範囲が広くなりました。今年度は10人体制です。  総合診療医は緊急手術を要さない救急疾患についてかなり広い範囲で患者さんを受け入れることができます。救急に関しては2018年に比べて2倍以上の応需率となり、入院患者数も1・5倍~2倍くらいに増えています。  もちろん、患者さんや受診された方に不利益がないことが前提であり、専門医療が必要な方に対しては専門医を紹介します。緊急を要する容態の方は当院をスキップすることもありますが、総合診療医が介在することで、適切な医療を提供するお手伝いができると思っています。  院内では毎週、プライマリケア勉強会をしており、私も教育レクチャーをしているので、週に複数回、総合診療についての研修会を行っています。  高齢化が進む中、求められているのは地域包括ケアシステムの拠点となることで、急性期から慢性期までの幅広い範囲をカバーできる総合診療医が必要であると思っています。 ―今後は。  当院には市民の方に健康と安心を提供する病院としての柱があります。その一つは総合診療と専門診療の連携です。今後、一層必要になるであろう在宅医療の支援ができるよう、医師会や薬剤師会、歯科医師会の方々との連携会議や、「顔の見える医療介護福祉保育ネットワーク会議」をつくり、保育や訪問看護ステーションの方にも集まっていただいてミーティングを始めました。  院内では職員のワールドカフェ(リラックスした会議)として「あまカフェ」を開催。自主的な活動のプロジェクトチームを募り、有志60人ほどが11のプロジェクトチームに分かれて活動しています。中でも活発なのがヘルスプロモーション。「地域医療振興協会」からアドバイスをもらいつつ、患者さんだけでなく、職員も地域も健康にするにはどうしたらよいかを議論し、地域の健康づくりを担う病院を目指しています。  医療者の育成にも力を入れ、どの部門も卒前教育の依頼があれば幅広く受け入れ、卒後の教育も含めて、多職種協働の現場を体験してもらおうと考えています。  もう一つは災害対策です。災害が起こった時、地域の災害対策に協力できるような病院でありたいと思っており、災害に対する備えが今後一番の課題です。 公益社団法人地域医療振興協会 あま市民病院愛知県あま市甚目寺畦田1  ☎︎052―444―0050(代表)https://www.amahosp.jp/

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