地域に根差しながら 世界を目指す大学に
―名古屋市立大学の概要や特徴を教えてください。
本学は、今年132年を迎える薬学部、73年を迎える医学部の2つの学部を基に、1950年に設置された公立大学です。2006年には公立大学法人化しました。
2015年10月で開学65周年を迎え、現在は医学部、薬学部に加えて、経済学部、人文社会学部、芸術工学部、看護学部、システム自然科学研究科の6学部7研究科を擁する総合大学となりました。4つのキャンパスがすべて名古屋市内にあるのも特徴です。
現在、国内には公立大学が86校ありますが、設置団体もさまざまで、その75%が医療系の学部を持っており、厚生労働省の指導も受けています。
私は、本学の特徴について説明する際、「本学には『4人の母』がおり、『4人の母』を愛し、愛されなければならない」と、表現しています。
つまり、「母」とは設置団体である名古屋市と文部科学省、厚生労働省、そして総務省です。
4人の母がいるため、大学運営において、難しい面がないわけではありません。「誰が生みの母なのか、誰が育ての母なのか」と思うこともしばしばあります。
国立大学法人では、独自商品を開発して販売することができるのですが、公立大学法人ではそれができません。公立大学は、地方独立行政法人法によって収益事業への投資はできない、長期借入はできないといった規制があるためです。
しかし、地方独立行政法人法改正案の施行に向けた動きもありますし、それぞれの「母」との連携を大事にしながら、大学の改革を進めて参ります。同じ思いを抱える他の公立大学とも連携したいと思います。
―開学65周年を迎えて、さまざまな取り組みをされました。今後、具体的に力を入れる点は。
65周年を迎えるにあたっては、学部同士が連携を強めて、全学を一体化するために、いろいろな事業をやりたいと考えました。学部の歴史も違いますし、キャンパスが4カ所に分かれているなどの理由から、これまでは学部同士の関係が弱くなりがちでしたが、今後は大学全体で横断的あるいは学際的に取り組むプランを考えます。
私学には建学の精神などがありますが、国公立大学にはそのようなものはこれまでありませんでした。そこで、2014年の開学記念日に、「大学憲章」を制定しました。研究、教育、社会貢献を柱にしています。
また、憲章に基づいて、15年計画で、4期に分けて実施する4つのビジョンと52のプランから成る「名市大未来プラン」を全学で策定しました。トップが代わっても、その方向性が変わってはいけないと思っています。
―特に注力されている事はありますか。
新学部の設立とキャンパスの統合については学内外の議論を深めていきたいと思います。
新しい学部は理学系学部を考えていますが、これは物事を論理的に考えて行動する人間を育てたいという思いがあるためです。
加えて、生命と理学の総合学部として、いずれはノーベル賞を目指すような研究者を育てたいという夢を持っています。
その一方で、我々のような世代の方でも学ぶことができる「学び直し学部(仮称)」も設立したいと考えています。
現在、本学では、市民向け公開講座を延べ年間1200時間行っていますが、大変好評です。
現在50代以上の方は学びへの意識が大変高いようですので、このような方を対象にした学部の設立を目指します。このような学部は国内では初めてになると思います。
また、キャンパスの統合については、名古屋市民の皆さまの意見もうかがいながら、この1、2年でどうあるべきか、を検討したいと考えています。
―これまで長年、医学に貢献されました。モットーや心に残る出来事は。
2014年の大学での最終講義のタイトルにもしましたが、「人に支えられ、人を育て、人に尽くす」という言葉を大事にして参りました。
大学2年生の時に、出雲市で登山をした際、山の中でスズメバチに刺されてひん死の重症を負いました。その時たまたま旅行に来られていた外科医の勝部早苗先生に応急処置をしていただき命を救われました。
このような経験があったためか、これまでの人生、皆さんに支えられているという思いが人一倍強いです。
また、2011年4月に名古屋市で行われ、学会長を務めた「第99回日本泌尿器科学会総会」も思い出深いです。
その年の3月11日に東日本大震災が起こったため、催しや学会を自粛する動きが出ていました。
私自身も大いに迷いましたが、こんなときだからこそ、という言葉もいただきました。
最終的に「医道白寿 永遠の途上」という学会テーマに加えて、新たに「陽は必ず東から昇る」という学会のテーマを掲げて開催に踏み切りました。
名古屋市からは名古屋城の二ノ丸庭園などを借りるなど、大々的な協力をいただくことができ盛会に終わりました。
参加者からは、たくさんの東日本大震災への義援金もいただきました。
振り返りますと、母校である大阪市の高津高校の教育モットーが「自由と創造」でした。人と同じことをせず、自分で考える、という精神を叩き込まれたようです。
それを元に、目標に向かってはいあがっていく生き方が好きなような気がします。
―今後の医学部、そして附属病院については。
私は常々、「市民の目線で医療を提供し、世界の目線で、研究を行う」という言葉を伝えて来ました。
本学は全学部、特に医学部は、名古屋市の方々の目線を常に意識すべきだと考えます。その上で、医学部や附属病院では、臨床と研究を充実させなければなりません。
おかげさまで、私が大学を退職する際には、アメリカでもっとも権威ある泌尿器学会に受理された論文の数が、世界の大学の中でも10位以内になることができました。
また、文部科学省の科学研究費を取得できた数も、泌尿器科が、学内でトップとなりました。これもひとえに「人に支えられた」お陰で、「人が育ててくれた」ことを喜んでいます。
今後も、70周年を目指して、学内全体の機運を高めながら、「名市大プラン」を着実に実行していこうと思います。