【災害特集】Person -被災地での医療活動を通じて-

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AMDA兵庫(徳島大学大学院医歯薬学研究部総合診療医学分野助教)
鈴記 好博 副理事長

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―東日本大震災、熊本地震で被災地に赴いたそうですね。

 AMDA第4次派遣隊で震災翌日の2011年3月12日に現地に入り、仙台市の救護所で医療活動に従事しました。当時、被害が甚大な地域の道路は封鎖。ガソリンスタンドは長蛇の列、コンビニエンスストアには商品がないという状況でした。

 福島第一原発の事故の影響もあって安全確保のために16日にいったん引き揚げました。その後、26日にAMDA第14次派遣隊として津波で大きな被害を受けた釡石市に行きました。そのころになると、周辺にがれきが山積していたものの道路封鎖は解けていました。

 昨年の熊本地震では4月20日から益城町の小学校の避難所で診療をしました。その時は外傷の患者さんは少なく、感染症などの対策が主な業務でした。

―東日本、熊本地震での経験が南海トラフ地震などにも生かされそうですか。

 現地に行って自分の目で見ることで、さまざまなシチュエーションを想定することができるようになりました。

 私は徳島県にある美波病院の防災対策のお手伝いをしています。そこで防災対策マニュアルの作成などをしています。

 実際に震災を経験していないと、どうしても楽観的、自分たちに都合のいいシナリオのマニュアルになりがちです。

 例えば災害時に職員の連絡網などをつくっても、連絡がつく人がどれだけいるでしょうか。最悪の事態を想定した災害対策への備え。これこそが何よりも大切だと思います。

静岡赤十字病院 救命救急センター
佐々木 知春 看護師

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―熊本赤十字での活動内容について。

 昨年5月23日から6月6日まで看護業務支援で熊本赤十字病院に向かいました。

 救命救急センターでの業務でしたが、発災から1カ月以上経っていたこともあり、ようやく落ち着きを取り戻しつつありました。

 患者さんは外傷というよりは、家の片づけをやっていて給水を怠っての熱中症、ストレスによるめまいなど、背景に震災の影響があると思われるケースが多かったですね。

―被災地に入ったときの感想は。

 熊本市内は、だいぶ復興している印象を受けました。ただ破損した熊本城を見た時には、前年に熊本を訪れていたこともあって衝撃を受けました。

―反省点はありますか。

 目の前の仕事をこなすのに頭がいっぱいで、一緒に働いている職員も被災者だということを忘れていました。途中からは、それに気づき、こちらから声をかけるように努めました。もっとそれに早く気付けていたらと思いますね。

―将来、起こるかもしれない南海トラフ地震に今回の経験をどう生かしていきたいですか。

 地震が起こったら、東日本大震災や熊本地震の時と同様に病院がパニック状態になるのは容易に想像がつきます。物品はもちろん、日ごろからの心の備えが重要だと思います。

 赤十字病院は全国にネットワークがあります。今回一緒に働いた仲間と絆が深まり、今でも連絡を取り合っています。

 大きな震災を迎えた病院とも情報交換をして、今後に生かしていけたらと考えています。

一般社団法人福岡県臨床心理士会 被害者支援(災害対策)領域担当
姫島 源太郎 理事

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―熊本の被災地での活動について教えてください。

 日本臨床心理士会では災害対策として地域ごとに派遣エリアを定めました。

 例えば南海トラフ地震では宮崎県や大分県に大きな被害があると予想されています。そうなった場合、被災地を除く、九州各県の臨床心理士が現地に派遣されるシステムが確立されているのです。

 私は緊急派遣スクールカウンセラーとして5月から熊本市内、6月から熊本県域の小・中学校に赴きました。

 われわれの仕事は救急対応ではなく、生活が再建するにつれて必要になってくる心の問題のケアです。学校、家族、本人からカウンセリング希望があれば、面談して状態を把握。その後、地域の医療機関へと引き継ぐ流れになっています。

 カウンセリングを必要とするのは、5月時点で全児童生徒の2.4%ほどでした。相談してきた生徒の多くは腹痛や不眠などの身体症状を訴えていました。これらは東日本大震災でもみられた症状です。

―東日本大震災にも行かれたんですね。

 発災から3カ月後の6月に宮城県気仙沼市に赴き、現在でも被災地の中学校に赴いています。震災から1、2年ほどは地震による被害が直接関係していると思われる相談を受けました。

 今は「学校に行きたくない」「学校生活がきつい」など、被災地以外の生徒と、さほど変わらない内容の相談が多くなってきました。

 しかし、仮設住宅での悩み、地震で家族が亡くなったなどの生活環境が原因だと思われる相談も少なからずあります。

 心の問題はすぐには解決できません。長い生徒で4〜5年かかることもありますが、じっくりケアをしていく必要があるのです。

熊本地震、そのとき透析患者は
待たれる、災害時透析拠点病院

◇患者自身も対策を

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 熊本腎臓病患者連絡協議会会長兼事務局長で、昨年3月まで全国腎臓病協議会会長を務めた今井正敏さん( 63)は、4月14日午後9時26分ごろの最初の揺れ(最大震度7)の翌朝から、協議会事務所で透析施設の被災状況など情報収集にあたった。

 週3回6時間透析を受けている今井会長は、いつも自宅から車で20分ほどのクリニックで透析を受けている。本来なら18日に透析を受けるはずだったが、16日に発生した最大震度7の地震の後、早めに透析したほうがいいと判断したかかりつけクリニックの紹介で、17日に自宅から約25キロ離れた玉名市の病院で臨時透析を受けた。

 今井会長によると、医師たちの対応が早かったため、県内の透析患者にあまり不安はなかったという。対応が早かったのは、県と県透析医会が作成した災害時マニュアルがあったためだ。配管施設を強化し、機器の配置替えを行うなど透析施設の地震対策が進んでいたことも背景にある。

 透析患者のうち約500人が避難所に入った。避難所に入った患者にとっては、避難が長引くほどに体への負担が蓄積する。「避難所から透析に行くとなると、片道4時間かかることもあり、朝に出かけて帰ってくるのは夜ということも多い」と話す今井会長。透析後の長時間移動は患者の体力を奪い、蓄積した疲労から、むしろ今になって体調を壊す透析患者が多くいるという。「臨時透析は短時間透析にならざるをえず、日常的に体の調整を心がけている患者でないと後から影響が出ます。自己管理できる患者にならなければと痛感しました」(今井会長)

◇疲弊する医療機関

 熊本市南区で慢性期を担当する桜十字病院(倉津純一院長)は、16日未明の揺れで病院建物が壊れるなどの大きな被害を受けた。それにも関わらず、同院は16日朝7時半から透析受け入れを開始し、通常20人の透析患者に加えて4施設から60人を臨時透析に受け入れた。

 地震後の人工透析を可能にしたのは、平時からの備えだった。停電直後から自家発電装置で電力を確保し、水は平時から病院で掘った井戸水を使っているため、生活用水や医療用水について、まったく影響を受けなかった。

 透析患者の臨時受け入れでは、熊本県透析施設協議会の災害時ネットワークと日本透析医会の災害時情報ネットワークを使って受け入れ可能状況を流した。しかし、同院は同時に透析できる人数が10人の小規模施設で、60人の臨時受け入れが能力を越えているのは明らかだった。

 同院医療機器管理室の臨床工学技士、古垣吉崇さん( 38)は地震から1週間、病院に泊まり込んで毎日夜の12時まで透析患者の対応に奔走した一人だ。

 「透析には通常の8人体制に加えて他施設から3人のスタッフが応援に入りました。それでも待ち時間が長くなったのと、透析時間を短縮したことで患者さんにはご迷惑をおかけしたと思います」(古垣さん)

 熊本地震は、余震が長く続いたことも特徴だった。4月14日から昨年末までの余震回数は4209回にのぼる。同院では揺れるたびにスタッフが透析機器を押さえるなど、気を抜けない日が続いたという。「スタッフはかなり疲労がたまり、精神的にもぎりぎりの状況でした」(古垣さん)

 実際の災害を経験したことで明らかになった課題もある。

 「自家発電については、実際に長期間稼働させることでしかわからないトラブルが見つかりました。今後は長期停電をみこした備蓄も必要になります」(古垣さん)

◇地域独自の対策も

 日本透析医会では、災害時情報ネットワークを開設して情報の収集・提供を行っている。一方、各地域でも透析医と透析施設が中心となって独自の災害対策を進めている。

 鹿児島県では、2004年に県独自のネットワークを作った。鹿児島県透析医会災害対策本部委員長を務める、高田病院(鹿児島市)の萩原隆二院長は、ネットワークの設置は透析用水の確保が主な目的と話す。「東日本大震災の際は飲み水が優先され、医療用水の確保を後回しにされたこともありました。最近は、災害時でも透析用の水が必要であることが徐々に周知されてきたと感じます」(萩原院長)

 透析医療の災害への備えとして、萩原院長は透析専門の災害拠点病院(透析拠点病院)を用意する必要があると考えている。

 鹿児島県透析医会は、3年前から透析施設を対象にアンケート調査を実施し、各施設の貯水タンクの量や1日に必要な水の量などを調査している。集計結果は透析拠点病院を決める際の判断材料にする予定だ。「災害拠点病院は災害時に慢性期を診る余裕はありません。透析専門の災害拠点病院ができれば、患者さんを集約して診ることができ、水も1カ所に運べるので効率化も図れます」(萩原院長)

 日本透析医学会も、災害拠点病院と透析拠点病院を分けて整備することを提言している。実現には拠点施設への人的・物的サポートが不可欠であり、課題は多い。

 透析に代表される慢性疾患の災害時医療支援について、管轄行政と自治体に加え患者参加型のオープンな議論を積み重ねて、理想の姿を模索すべきだ。

災害時透析メモ
 災害時医療では、緊急性の高さからトリアージなどの急性期医療が注目されがちだが、一定の頻度でケアが必要な慢性期医療についても対策が急がれている。
 日本慢性期医療協会は、災害時に支援が必要な慢性期疾患の例として、人工呼吸器管理、気管切開、胃ろう、重度認知症、人工透析などを上げている。この中でも人工透析は透析機器を置く施設と電力、さらに大量の水が必要になることから、平時から透析水の確保について計画が必要になる。
 熊本地震では、県内約6300人の人工透析患者のうち約1800人が地震の影響を受け、24透析施設が被災した(県医療政策課調べ)。地震発生後、電力は比較的早く2回目の地震(4月16日午前1時15分ごろ/最大震度7)から5日程度で復旧したものの、水道については排水管の損傷などの改修に手間どり、10日たっても復旧に地域差があった。
 熊本県地域防災計画では、医療用水の供給については断水が解消されるまで優先的に行うとされている。2回目の地震後の16日に自衛隊による給水活動が始まると、窓口を県医療政策課に一本化し、医療施設からの要請に基づいて24時間体制で補給を行った。給水活動は4月30日まで続き、のべ82施設からの要請を受け、1574㌧の水を提供している。

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