鹿児島医療生活協同組合 国分生協病院 院長 山下 義仁
霧島市は人口12万人に対し総病床数2,366床。うち一般病床は療養病床や精神病床より少なく、734床しかない。今年4月に就任した山下院長は「県で2番目に人口は多いが、急性期については不十分な地域」と言う。129床の病院だが、国分生協病院の担うべき役割は大きい。
霧島市に病院は15あり、救急告示病院は5つ。当院はそのうちの1つです。年間800台ほどの救急車を受け入れており、これは霧島市立医師会医療センターに次いで市内で2番目です。
当院は内科、外科、小児科を診ていますが、市内で小児科の急性期病床があるのは当院だけですから、救急車は集中して来ます。しかし今年から小児科医は1名しかおらず、時間外は内科で診ています。その場合で入院が必要な時は鹿児島市の病院などにお願いします。鹿児島市立病院や、当院と同系列の鹿児島生協病院に依頼することが多いですね。また当院には脳外科や整形外科がないのですが、一度診断した上で紹介などの対応をしています。
霧島市の救急医療は昨年4月から輪番制を始めました。当院のほか霧島市立医師会医療センター、霧島記念病院、国分中央病院の4院が参加しています。当院の受け持ちは、毎週木曜日と、隔週の土日です。隣接する姶良市も2院で輪番制を始めましたから、そちらからの搬送も減りました。以前は子供の発熱程度で鹿児島市まで搬送するケースがありましたから、環境はずいぶん改善されたように思います。
霧島市の中心である旧国分市から鹿児島市内までおよそ40kmもありますから、市内の医療機関全体の問題です。昨年は副院長として、吉見謙一前院長とともに近隣の先生方や医師会、消防署、行政機関などにあいさつしました。関係各所とは今後も良好な関係で協力していきたいと思います。
7対1看護の病床があるのは、市内に2院だけです。近隣の医療・福祉機関から高齢者を紹介されますが、多重疾患の患者さんがよく来ます。内科的疾患では特に循環器が得意で、救急ではPCI(経皮的冠動脈形成術)などもやっています。6年前から、OCUネットワーク(急性心筋梗塞受け入れネットワーク)を当番制で始め、霧島市立医師会医療センターと当院で担っています。透析のベッドは32床あり、血液透析のほか腹膜透析も行なっています。大きな病院ではありませんが、市内での役割は小さくありません。この病院の運営は、市内の医療状況に影響があると考えているので、責任は重大です。
父は鹿児島県立大学工学部を卒業し、大学が国立に移管する際に教員となり、九大の工学部(福岡市東区)で3年間勉強していたようです。それで、私は箱崎(九州大学工学部の所在地)で産湯につかりました。父はその後鹿児島大学の教員に復帰しまして、私は鹿児島市で育っています。高校生の時、生まれた場所が見たくて、筥崎八幡宮に一人で行きました。元寇の際に上皇が勝利を祈願した神社なんですよ。この地には親近感を持っています。
父は医師になりたかったらしいのですが、経済的理由で断念したようです。それで父に薦められて医師の道を志しました。
鹿児島大学医学部に入学し、難病問題研究会というサークルに入りました。第三内科の協力で、医学部生が神経筋疾患の患者さんを発掘して、そういう方々の生活や医療のことを学ぶという主旨のものでした。井形昭弘先生が教授をされていた時代で、そういうことを第三内科が熱心に始めていた時代のことです。
市役所や町役場で身体障害者手帳を持っている人を教えてもらい、病名に「脳性麻痺」と書かれている人など、神経筋疾患の可能性がある人に連絡を取って会いに行きます。1次スクリーニングをして神経筋疾患が疑われる場合は、医師が本格的に面談にいくわけです。この活動を通して、患者さんの生活を実際に見て、どういう医療者になるべきかを考えました。この活動が今の自分を作ったと思います。
また、離島などのへき地医療に関わりたいという気持ちが次第に強くなりました。父が交通事故で足を悪くしていたので、当初は整形外科医になりたかったのですが、一人で多くの領域の疾患を診る、へき地医療の医師には適しません。それで内科医になりました。
大学を卒業したのち、鹿児島民医連(鹿児島県民主医療機関連合会)に就職しました。奄美での診療をやっていましたし、弱者を救うという考え方に心魅かれました。患者さんの生活の近くにいる診療スタイルも魅力的に思えました。今もここに所属していて、病院に就職しているわけではないんですよ。医師にはいろいろな働き方がありますが、振り返ってみれば自分に民医連は合っているなと思います。
患者さんの生活を知ったことで労働衛生にも興味を持ち、産業医の資格を取得しています。今は院長になったので降りましたが、3月までは当院自体の労働環境をみる産業医でした。
ここに来る前は鹿児島生協病院で塵肺検診を担当していました。私は呼吸器を中心に診る内科医ですが、鹿児島には出稼ぎに行って珪肺症になった人が多くいます。話を聞くと、高速道や列車のトンネル、ダム水路などを掘っていて、ケイ素を多量に吸っていると考えられます。また最近では、アスベストによる健康被害を多く見ますが、これも出稼ぎで混綿作業などをしていた人ばかりです。鹿児島には「石綿に関する健康管理手帳」を交付してもらおうか、という人が少なくはありません。
一方、この地域には飼料用の干し草を原因とした農夫肺症があります。北海道にしかないと思われていましたが、私の先輩である樫田祐一先生が発見しました。私が医師になって2年目のことで、調査に1日だけ加えていただいたのをおぼえています。また、昨年当院の研修医が、職場の麹が原因で過敏性肺臓炎になっていると考えられるケースを発見しています。人の生活に労働は必要で、労働に起因する病気は少なくありません。当院では今後もそういう疾患の人をフォローしたいと考えています。
学生時代は衛生学の教室にも出入りし、教授から「民医連で勉強したあと、大学院を受けて教室に来ないか」と誘っていただいたこともあります。それも非常に魅力的ではあったのですが、民医連での活動に夢中になってしまい、そちらの道には進みませんでした。
数年前から病院の建て替えを検討しています。今の建物は築30年経っていますので、いろいろと不具合がでてきています。救急を強化するために、脳梗塞などを診断したりMRCPをやる目的でMRIを入れたいのですが、それを設置するスペースがありません。当院の真上に高圧線が走っているので、これ以上は階数を増やせず、手狭です。
できればもっと便の良い場所に新築移転したいと思い、今は用地を探している段階です。吉見前院長から院長職を引き継ぐとき「お前の仕事は新病院の建築だ」と託されたこともあり、私の代で実現せねばなりません。5年以内にやりきりたいと考えています。
今後どういう医療活動を行なうのか指針を明確にし、それに沿った病院を建設したいと思います。職員や組合員の意向も反映させねばなりませんし、近隣の医療機関の期待に応える必要もあるでしょう。非常に大きな仕事をする時期に任されたな、という思いはありますが、せっかくですから大役を楽しみたいと思います。