"来るもの拒まず"から"地域に出て行く"病院に
先代の杉本紀子理事長が開業し、親子2代で病院を築き上げた。当初は精神科病院の建設に反対の声もあった。しかし、取り巻く環境は、時代と共に大きく変化してきたという。
―八多病院の歩みを。
開業したのは私の母、杉本紀子。私は2011年から2代目理事長を務めています。先代は女学校を卒業後、会社勤めを経て結婚しましたが、わずか8カ月で夫を結核で亡くしました。その後、定時制高校、徳島大学医学部へと進学。医師免許を取得後、勤務医を経て当院を立ち上げました。非常にパワフルな人でしたね。
開院した1985年ごろは精神科病院への偏見が強い時代でした。しかし、時代の流れと共に地域の世代交代や高齢化が進み、引退した地域の開業医に代わって近隣の保育所の入園時健診に携わるなど、外に出る機会が増えました。次第に開院当初のような偏見はなくなり、当院を取り巻く環境は良い方向へと変わってきたのです。
これまでは「来るもの拒まず」という診療方針でしたが、今後はより積極的に地域に出て行こうと模索中です。2月には初めての試みとして、一般の方も参加できる看護・介護職員向けの認知症の講演会を行いました。
金銭感覚がおかしくなるなど、症状としてあまり知られていないものやグレーゾーンが多い認知症。啓発活動を広げていくことで、初期段階での認知症の発見と、早期の治療開始につなげていきたいと考えています。
―診療の特長を。
徘徊(はいかい)やせん妄、怒号などの行動・心理症状(BPSD)で、一般病院から紹介されてくる患者さんが病棟のほとんどを占めています。
向精神薬や降圧剤、鎮痛剤などあらゆる薬を併用し、効果や副作用の見分けがつかなくなっている人も多い。その場合は入院患者に限り、いったんすべての薬の服用を中止して全身状態を診ます。その結果、中には実は服薬が不要だったり、血圧の薬だけで十分だったりする人もいるのです。
認知症は発症すると、今までできていたことができなくなるなど不安や恐怖心に駆られ、思うようにいかず暴力的な言動などのBPSDが現れることがあります。身近な人ほど病気の現実を受け入れられないもの。だからこそご家族には患者さんがどういう状態なのか、今後どのような経過をたどるのかを説明し、心の準備をしてもらいます。
病気が進行するとやがて精神状態は穏やかになります。進行する間、ご家族は介護保険や病院のサービスなどを利用しながら、程よい距離感を保ち、敬意を持って患者さんと接してほしい。「目尻にしわが寄っても、眉間にしわを寄せないで」と、いつも患者さんのご家族に言っています。
―八多病院やこの地域の魅力とは。
病院の敷地内ではキツツキの姿が見られるなど、豊かな自然の中に八多病院があります。
農家や漁業を営んできた患者さんは、若い時に習得した仕事の知識や技術を、認知症の中期ごろになっても覚えているものです。日常生活のサポートが必要になっても、これまで培ったスキルを生かして働き続けることができるのは、この地域ならではの特長だと思います。
今後、作業療法士を確保できれば、周囲とコミュニケーションを図り、何かモノを作るような作業療法を新たに取り入れていきたいと考えています。
先代の院長も働きながら私を育ててきたので、育児休暇や介護休暇のほか、兼業で働く職員のための田植え休みや阿波踊り休暇についても、取得しやすい風土が開院当初から根付いています。実践した人はまだいませんが、本人と子どもが良ければ、子連れ出勤も許可していますよ。
医療法人かわせみ 八多病院
徳島市八多町小倉76
TEL:088-645-2233(代表)
http://www.hatah.or.jp/