特定医療法人社団 筑水会 理事長
筑水会病院 國芳 雅広 院長
1955年開設というから、今年でちょうど60周年になる。
一貫して地域の精神医療に貢献してきた。時代の流れの中で、今ではデイ・ナイト・ケアセンターや重度認知症治療施設、社会復帰施設のほか、病院敷地内に研究所も持つ。筑水会理事長の國芳雅広院長を訪ねた。
昔は3・3・3のルールというものがあり、大ざっぱに分けて、3割は社会生活ができ、3割は入退院を繰り返し、あとの3割は退院できないと教わりました。でも今は、ほとんどの方が短期間の入院で、社会生活を送っていますから、真ん中の3割がすごく広がっている状況です。
社会や勤務先に対する不適応からうつ病になるような人、つまり外来治療の範疇(はんちゅう)の方々が増えていて、さらには手を差し伸べるかどうかというギリギリの場所にいる人も多いんです。あるいは、危なっかしさを感じさせる性格障害まで含めると、幅がものすごく広がって、手が回らないのが実情です。
そうなった理由の1つに、診断がうまくなったことが挙げられます。今までうつ病だととらえきれなかった人がうつ病だと診断され、発達障害にしても昔は全然いなかったのに、一気に増えました。そして患者さん自身が、「私は発達障害かもしれない」と言って受診に来られる。マスコミの情報などで、もしかしたら自分もと考える人が増えているんでしょうね。
そしてもう1つが診断のし過ぎ。病気ではないのに病気の診断に当てはまってしまうために、病名がついてしまう。そこは注意が必要だと、最近は言われています。
―社会の風潮が病気を生み出すことはありますか。
新型うつ病がその典型で、それも病気だととらえて治療しようとする時代なんですよ。そこは論争が今もあって、そんなものはないと言う医者もいれば、いやそれも病気だと言う医師もいます。時代のあり方とも関わってきたのでしょうが、非常に悩ましいところですね。ないと思う医者には本当に病気ではなくて、あると思う医者は懸命に治療しようとするわけですから。
―時代との関わりはどうでしょう。
精神にいろんな障害を抱えた方が住みにくい時代でしょうね。かつては変わり者だけで済んだことも多かったと思います。
それにしても他人を見る目が厳しくなりました。子どもの泣き声が聞こえたら虐待だと通報されるんですからね。生きにくい、心に余裕のない時代になりました。
実は昨日、小さな子どもが目の前で転んだので、起こしてあげようとして近寄ったら、母親が飛んで来てにらみつけられました。さみしい話です。
―この施設の特徴は。
開設当時から、いわゆる田舎の精神科です。だから、あれが嫌これも嫌とは言えない立場で、逆に言えば、いろんな患者さんがうちを頼って来るものですから、何でもやれることが強みです。
最近は統合失調症よりも、うつ病や発達障害の方が、来院者数としては多いです。だからスタッフは、常に新しい知識を取り入れ、他職種の人とネットワークをつくって勉強しています。とても1人でできることじゃないですから。
―認知症者にはどのような見方を。
もう、医師もほかのスタッフも、病気という目では見ないですね。だけど病気なんです。だから、治さなければいけない部分と、治らないから仲良くやりましょう、というところがあります。話を合わせてあげたらご本人が落ちつく。それがやり方でしょうね。
―筑水会は今後どの方向に向かいますか。
地域のニーズに従いながら、グループホームやデイケアをつくり、訪問看護もやってきました。これからは認知症の方の訪問も必要になるでしょうし、精神科以外の要望にも応えていく必要があるかもしれません。ここが最後のより所になると私は考えています。日本全体としては、医療と介護の分野の垣根が低くなり、さらにいろんな職種が関わってくると思います。
―精神科に関わる理想の医療者とは。
「人と話すのが好き、話を聞くのも好き」「人の気持ちがわかるのが好き」でなければ難しいと思います。私はいつも、「感情」の「情」を受けとめることができるようになってくださいと言っています。熱があるのはどうにかなるけど、情は難しい。その情を受けとめ、いっぱい抱えた悩みを黙って聞いてあげるだけで改善していく方も少なくありません。そのためには忍耐力も必要です。