健康保険熊本総合病院 病院長 (熊本大学医学部臨床教授) 島田信也
昨年12月20日号に竣工インタビューを掲載して1年が過ぎた。
当時、「100年後を見据えて建てた」と島田院長は語った。その真意と現状、見通しを中心に聞いた。おりしも八代妙見祭(国指定重要無形民族文化財)の直前で、街のあちこちに提灯が下がっていた。
―100年後をにらんだ街づくりの中心に病院を据えることについて。
ここ八代は私のふるさとで、昔は30万都市を目指して勢いがあったのに、今のように寂れてしまうというのは、八代にはランドマークがなかったからだと思います。私はアメリカに住んでいましたが、各都市には必ずランドマークがあり、そこを中心に人々は集まってきていました。
熊本市には熊本市のランドマークとして熊本城がありますね。私は日本一の名城だと思います。同じようにワシントンDCにもワシントンモニュメントというランドマークがあり、東京には皇居や東京タワーというランドマークがあります。
―ランドマークの役割は。
以前は飾りのようなものだと思っていました。しかしこの病院を作るにあたり、建築の本をいろいろ読んでみました。そうしましたら、ケビン・リンチという建築家が、町づくりに一番大事なものはランドマークであると書いていました。
ランドマークがなぜ必要かというと、住民に方角を示せるということなんです。「あっ、あそこにランドマークがある」。そしてそれが、方向を見定める一つの道標となります。
もう一つは街に対するプライドです。それが無いと街を愛せなくなる。そして居心地が悪くなるんです。そうすると住民が街から出ていき、それで寂れていく。そういうことをケビン・リンチが言っています。
旧市街地に街づくりをしたくても、すでにいろんな住民が住んで、それぞれの思いがあるわけです。それで、街を変えていくのは極めて難しい。それについてケビン・リンチは、ランドマークを建てれば、その意気に賛同して、街のあり方について正しい批判力を持った人が必ず誕生してくると書いています。
そういう人を百年かけて増やしていく。例えば50%の住民が街のあり方について正しい批判力を持つことができれば、とんでもない素晴らしい街ができると思います。そういう意味でランドマークは、極めて重要なものです。
ケビン・リンチという人は、都市づくりとは何なのかを一生懸命考えたわけです。彼の本を読んでみると、悩むところも同じで、なるほどと、とても共感しました、そして、彼の言葉の1つ1つが素晴らしいと思いましたね。どうしたら既成の寂れた街を、新しい美しい街にできるかということを、真剣に考えた先駆者が1950年代にいたんです。
―この周辺は城址や市役所があり、商店街もホテルもある。そしてこんな病院があれば、住民は生活しやすいでしょうね。
実はこの病院を建てたら、すぐ近所にマンションが一基、二基と建ったんですよ。
私が考えていることは、企業がよっぽど理解しているようです。これはいけると思っている。こんな病院ができたら需要が創出されると思ったんでしょうね。さらに、思いがけず、清水建設の来年のカレンダーに当院が掲載され、世界中に配布されます。九州の建物が掲
載されるのはこの10年間で、博多駅に次いでたった3件目だそうで、とても光栄です。
―次は、どんな人材が勤めるかですね。
それは大事なことです。素晴らしい建物はできましたから、あとは中身をどんどん良くしようという事で、今はかなり優秀なドクターが集まってきています。
美しいものをつくると皆が大切にします。そうすると患者さんにもやさしくできるし、それで患者さんも居心地が良くなってお互いに親切になり、いい医療の提供につながります。
―職員の教育や方向付けは。
私が最初にこちらに来て一番悲しかったのが、建物もひどかったのですが、職員のレベルアップができていないということでした。認定看護師も一人もいなかったんです。
また災害拠点病院だとか地域連携支援病院だとか、がん拠点病院など、認定施設を一つも取っていなかったんですよ。熊本県で危機的病院ナンバーワンと揶揄されるのも仕方がないんだと思いました。職員のレベルもモチベーションも下がっていて、全く目に生気がありませんでした。それで、「そんなことで患者さんに良い医療が提供できますか」と怒ってしまいました。
最初に始めたのは心構えです。「もっとプライドを持とうじゃないか」と。そのためには一人一人がプロにならなければいけない。看護師は認定看護師を取らなければならないし、技術職はさらに専門的な技術の免許を取りなさいと言い続けて、最近では次々に取れてきており、嬉しい限りです。
私も、外科医にとっては専門外のいろんな専門医を取りに行きました。本来は必要ないのですが、病院の格上げのために私が出来ることは全部と思い、老体に鞭打って(笑)。
病院長として試験に落ちるわけにはいかないので大変でしたよ、もう。
―日本が元気になるには何が必要でしょう。
島田院長の手による「超高齢化包括ケア社会を見据えた、病院を核とした街創り」のイメージ。
日本はこれから超高齢化社会を迎えるが、この「街創り」の中では、高齢者が美しい街の中心部を散策しながら、公的手続きや買い物、通院などが行なえる。
「質の高い医療の提供と共に、美しい街づくりにも貢献したい」と島田院長は話す。「ランドマークを核として、1歩1歩、住み心地のよい素晴らしい街づくりを鋭意行なっていく。実は、その集合が、プライドが持てる日本の国創りなんです」。
やっぱり理念だと思います。当院の理念は「公に尽くしていこう」という考えなんです。理念なしに、単にああやろう、こうやろうでは決して気運は盛り上がりません。松下電器にしても自社の商品を売りながら日本を豊かにしていこうという考えですし、日本航空を再生した稲盛さんにしてもそうです。そういう公の心を持つことが日本人の国民性だと私は考えています。それが一番、大切なことではないでしょうか。
この世の中を動かしているのは、気持ちであり理念であり大義名分です。それが段々、職員に浸透していくと、いい方向に動き出すのではないかと思っています。
―受付の職員さんも非常にいい対応でした。
お褒めの言葉、本当に励みになります。私には自分がかかりたいと思える病院にしたいという目標もあって、それを標語にしています。相手の立場になった対応をしてくれと職員に言っているので、少しは良い所がでましたか(笑)。明日、伝えておきます。
―今後どんな発信をしていきますか。
病院に来たような気がしないと思われたらいいですね。病を忘れるような建物だと居心地がいい。そこでドクターがしっかり治療する。地域の住民も病院の前を通って、ふらっと立ち寄り、院内のライブラリーで美術全集や文豪の本を手に取ってもらえたらと考えています。絵も焼き物も最高峰が掲載されているものですからね。今のところ、地元の人は建物の高さに気がつくくらいですが、年ごとに足を運んでくれる人が増えたらうれしいです。それは街に波及しますから。ワシントンDCにしても、観光客に優しく、住民も居心地がいい。当院でも将来に向けて、そんな起爆剤になれたらいいと思います。
―医者を志す人にメッセージがあれば。
自分をキャリアアップしたいと考えるのであれば、やはり留学ですね。
私もアメリカで研究していましたが、本当に苦しかったです。その苦しい環境の中、必死で研究しました。最初は狭い部屋でしたが、一つの大きな研究成果をあげた時に大ボスが広い部屋をくれ、私のサイン一つで、高価な研究機器や薬品をどんどん注文できるようになりました。
ちっちゃくまとまってはいかんですよ。若いうちから、ダンボのような耳で収入の情報を集めたり、3Kを避けるなんて、言語道断で、ちゃんと医局に属して、優れた教授から指導を受けろと言いたいです。教授はそこまで分かっていますから。自分の将来を尻すぼみさせるのはもったいないです。結局は患者さんのためにならないわけですから。
―医療の世界で学び取ったことは何でしょう。
私は恥ずかしいくらい失敗だらけの人生ですが、先ほどから何度か申し上げているように、医療を通じて、大義名分を持っている人のほうが話しても気が合いますし、楽しくなりますね。
それはやっぱり公の心を持っているということだと思います。
―ここに坂本龍馬がいたら楽しいでしょうね。
おっしゃる通りです。公の心を持つ龍馬ですから楽しいに決まっています。でも、坂本龍馬よりも家族が偉かったと思います。龍馬の脱藩で家族も連座の罪になるにもかかわらず、支援し続けたのですから。
どんな社会においても、波風が立たない生き方を選ぶ人が多いですが、公に貢献する人生を歩む志士は、自然と家族や周囲の人が支えてくれるのではないでしょうか。