「なぜ外来小児科学にのめりこんだか」久留米大学医学部 山下 文雄 名誉教授
はじめに
今日は、この講演のために10枚のスライドにフォトアルバムを用意してきた。私が「なぜ外来小児科学にのめりこんだか」をお話しする際、まずこれらの先生方をあげなければならない。
外来小児科をはじめた人々
まず、徳丸實先生、五十嵐正紘先生、山中龍宏先生の3人。この先生方や、米国のHaggerty先生が、わが国の外来小児科学のスタートに深く関わられた。私は、沢山の先生方に見習うこと大であったが、小児にも心身症があることを教えてくれた英国のApley先生が印象深い。久留米の学会にご夫妻でお招きし、長崎をご案内したことも懐かしく思い出される。
国内では、九大初代小児科教授で久留米大学学長を務めた伊東祐彦先生から影響を受けた。伊東先生は患者さんに優しく、回診時に飴を用意するような一面もお持ちだった。患者さんはすぐに泣き止んだとか。本当はいけないのでしょうが(会場笑)。
詳しくは割愛するが、国外では、Barnett、Metcoff、Spitzer、Bernsteinの諸先生方にお世話になった。
子どもの遊び・学びの重要性
これらの先生方に学んで感じたのは、子どもの遊びと学びが非常に大切であるということ。小児内科はもとより外科にも欠かせない視点である。
日野原重明先生にも、色々なことを教えていただいた。そのひとつがOsler先生の存在である。彼は、自身の墓に「医学生を教室から病棟に行かせた者ここに眠る」という名言を刻ませた。
また、米国のMD Anderson病院を訪れた際、患児のための場が大切にされているのを目の当たりにした。小児科医は患者の訴えを大切にし、患者とその家族のことを知らなければならないということに尽きる。
患者の家族の一人で、私の大切な友人でもある高橋和子さん(現がんの子供を守る会理事)を紹介したい。『聖子は鳥になった』という高橋さんの著書に詳しいが、お嬢さんが神経芽細胞腫になり、お母さん自身がその告知をしたのである。このお母さんから私が学んだことは非常に大きかった。
人間は、死を避けて通ることはできない。私の少し後輩に当たるホスピス医の河野博臣先生や『死ぬ瞬間』の著者、E・キューブラー・ロスからは「看取ること(ターミナルケア)」の重要性を学んだ。
さいごに
子どもの成長に必要なものは「家族」と「遊び」と「学び」である。私自身の経験からも、小児科医の基本は、生物学的・心理的理解であるということを申し述べておきたい。