自慢される病院になるために
2016年10月に院長就任。翌11月には病院事業管理者に就任した深田伸二病院事業管理者・院長に今後の抱負などを聞いた。
◎「コミュニケーション日本一」実現へ
こちらに来て3カ月が過ぎました。初めて常滑市民病院に来て、その威風堂々としたたたずまいに圧倒されたのを昨日のことのように覚えています。その時に感じたのは「病院の中身も建物にふさわしいものにしていかなければ」ということでした。
当院は2015年5月にこの場所(常滑市飛香台)に新築移転してきました。市民のみなさまや大勢の方々のご理解、ご協力のもとに建った病院なので、これからは、その人たちに恩返しをしていきたいという気持ちを強く持っています。
当院の基本理念は「私たちは小さいからこそできる『コミュニケーション日本一の病院』を実現します」です。「顧客コミュニケーション」「スタッフ間コミュニケーション」「地域連携コミュニケーション」を実践することで、相互の信頼関係が築かれて、市民のみなさまから自慢される病院になっていくと思います。
職員のほとんどは常滑市民です。私も院長就任を機に常滑市民になろうと思い、名古屋市近郊から引っ越してきました。病院から徒歩2~3分の場所に家があり、おそらく全職員のなかで最も近所に住んでいるのではないでしょうか。
妻に聞いたのですが、昼間、近所を歩いていると若い人たちがみなさんあいさつしてくれるそうです。本当にこちらに来てよかったと思っていますね。
市民が自慢できる病院になるということは、同じ市民である職員の職場への愛着を強めます。それが高いモチベーションを維持して働くことにもつながると思うのです。
「自慢される病院」が実現できれば、職員が一丸となり、病院に活力が生まれ、それが患者さんに還元されるという良い循環が生まれます。
◎ケアミックス
当院はケアミックス型の病院として、急性期から在宅までのシームレスな医療を提供しています。救急患者を受け入れていますし、回復期リハビリテーション病棟、地域包括ケア病棟も備えています。
常滑市の医療需要を考えると病院から在宅や介護施設へ切れ目無く医療を継続していくことが重要なのです。
入院してから退院までの一連の流れをペイシェント・フロー・マネジメント(PFM)と呼びます。
当院のような中規模病院(267床)では退院後のフォローを含めたきめ細かな診療、治療が今後求められてくるでしょう。
在宅医療においては、地域のクリニックなどとの連携を深めていかなければなりません。
◎連携の強化
知多半島には半田市立半田病院や公立西知多総合病院という大規模病院が存在します。
そういった病院と競合するのではなく、足りない部分を互いに補完しあって医療を担っていくことが必要だと考えています。
幸い両院の院長とは顔見知りで、本音で話せる関係が築けていると感じています。今後、より一層連携を強化していきたいですね。
◎病院の魅力
中規模病院ならではの小回りが利くところ、フットワークの良さが当院の自慢です。
医局は大医局制です。一つの部屋でお互いの顔が見える風通しの良い職場環境です。院長室、副院長室はガラス張りで外から見られるようにしています。前を通った職員には必ずあいさつするようにしていますし、最近は常時ドアを開け放っています。
またメディカルスタッフがみなさんとても頑張ってくれていますので、医師は働きやすいでしょう。常滑の土地柄もあるのか、患者さんが穏やかなのも魅力です。
◎量から質へ
当院は特定感染症指定医療機関に指定されています。特定感染症指定医療機関は新感染症の所見がある患者、一類感染症、二類感染症、新型インフルエンザなどの患者の入院を担当します。日本でわずか4施設しかない施設の内の一つで、病床数は2床です。
また外科は数多くの腹腔鏡手術の実績があり、他の病院へも指導に出向いています。透析病床は29 床で近隣病院では最多のベッド数です。ケアミックスとともにこれらの強みを外に向けて発信していく必要性を感じています。
当院の病床利用率は高いのですが、今後の医療は量から質の時代へと変わっていくと感じています。「山椒は小粒でピリッと辛い」。質で勝負できる病院を目指していきたいですね。
◎研修医へ
初期研修の2年間は幅広い知識を身につけてもらいたいですね。いずれ専門領域を究めようと思っているとしても根底には医師としての幅広い見識、確固とした土台が必要なのです。土台が弱いとビルは建たないでしょう。
初めから総合診療医を目指す人に来てもらうのは、もちろん大歓迎ですし、専門を目指す人も医師としての土台を築くうえで当院はとても良い環境だと思います。
若いうちは医学以外の見聞を広げることも重要です。医師以外の友だちと交流するのもいいでしょう。私は今でも高校時代の部活の友人と交流しています。
医師以外の人と話すと目からウロコが落ちるような話が聞けて新鮮ですね。医師仲間と話していると思いもつかないような意見を聞けて、とても参考になるのです。
卒後5年の過ごし方が医師の一生を左右するといっても過言ではありません。私は名古屋大学を卒業した後の5年間を岐阜県にある大垣市民病院で過ごしました。全国有数の症例数を誇る病院で、体を壊さないか心配になるくらい働きました。
でも今から思うとそれがいい経験だったと思いますね。若いころのがんばりが、その後の医師人生に大きな影響を与えると思います。とにかく最初の5年間は一生懸命がむしゃらに働いてほしいですね。