岡山大学病院 呼吸器外科 臓器移植医療センター
肺移植チーフ 准教授 大藤剛宏
日本最高峰の肺移植
諸外国に比べると、これまで日本では移植医療が発展しませんでした。なぜなら、移植医療の透明性の問題もあってなかなか臓器提供率が向上しなかったからです。
その背景として、脳死という概念がなかなか受け入れられなかったという日本特有の問題があります。そういった障壁を解消するため、平成9年に「臓器移植法」ができましたが、それでも諸外国と比べて臓器提供率が非常に低い。ある調査によると、臓器提供率の順位が63か国中62位なんです。最下位周辺はほとんど発展途上国で、経済的な発展に恵まれない国が日本のまわりに名を連ねている。韓国が世界6位くらいなので、同じアジアでも韓国で生まれたら移植で助かる病気が、日本で生まれたために、臓器提供が受けられずに助からないという理不尽なことが起こりうる。法律が改正されて若干増えましたが、まだまだ一般的な医療とはいえない状況にあります。
挑戦し続ける原動力
私は、新しい手術方法や世界初の手術に挑戦をすることがあります。
それは、功名心のためではなく、単に従来の方法では患者さんを助けることができないからなんです。
たとえば、子ども用の臓器はなかなか提供されないという現実があります。臓器不足で亡くなることは親にしたら受け入れがたいことでしょう。だから、そういう悲劇を無くすためには大人の肺を移植する方法を考える必要がある。
たとえそれが世界初の手術だとしてもわずかな勝算があるのなら私はやらざるをえない。
リスクは高いし、手術を断ってその患者さんが亡くなったとしても責められることはありませんが、私はその子が亡くなるのを黙って見ていることができない。
患者さんを救い、医学の次の扉を開けるためには新しいことをしないといけない、そういった使命感とともに、目の前に自分を頼っている患者さんがいる限り、私は挑戦を続けると思います。
恩師からの言葉
私が挑戦し続けるもうひとつの理由が、医師になったときにいただいた恩師の言葉にあります。
「あなたが外科医として成長するなかで、一生のうちに一人でもいいから『あなたがいたから助かったんだ』と言ってくれる患者さんに出会いなさい。その患者さんに出会えたときに初めてあなたが外科医になった意味がある」と。
新しい医学の道を切り開いていきなさいという激励の意味もあり、私の医師としての指針を決めたんだと思います。
ただ、これは非常に難しい課題です。外科医は世の中に何千人といるわけで、別の外科医ではなく自分じゃないと助けられないという状況はかなりハードルが高いですから。
自分だけしかできない難しい手術を経験し、唯一無二の技術を身に着けて初めて達成できるわけです。最近ようやくそその言葉に応えられるような手術ができるようになってきたんじゃないかなと思います。
- 【記者の目】
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取材中ひっきりなしにかかってくる電話。「神の手」を求めた叫びに、何度もペンを止めた。
昨年、母親の肺を最小単位に分割して2歳児に移植する手術を世界で初めて成功させた大藤医師は、経歴に「世界初」の形容がつくことが多い。移植医療の顔となった大藤医師だが、自らを「ドサ回りで度胸と腕を磨いた」と語り、日本では「出る杭」が育たないと嘆く。
何度か「ブラック・ジャック」という言葉を口にした。患者が選ぶ医師は、金太郎飴か、唯一無二の技術を持つB・Jか。自明がゆえに、大藤医師の生き様はとことん患者目線である。(大山)