さて寺田寅彦という物理学者がいます。「天災は忘れた頃にやってくる」と言った人と言われています。彼は高知の出身で、高等学校は熊本へ行きました。あるとき寺田の同級生が英語の試験を落とされそうになったらしい。彼はその落第しそうな友人を救うため、英語教師に直談判に行った。その同級生と寺田が特別の友人であったかどうか、それは分からない。分からないけれども、英語の試験に落ちて落第しそうな同級生を黙ってみてはいられない、彼はそういう性格でした。
男だて、とも言えるし、いい奴かも知れないし、あるいはお節介といえばお節介な男だったのでしょう。寺田寅彦は、怒鳴り込むような勢いで英語教師を訪ねた。そこでどういうやり取りがあったか、そこはよく分からないのですが、気がついてみると寺田は英語教師の弟子になっていた。
英語教師の弟子だから、英語の弟子かというと実は違っていて、俳句の弟子になった。それから二人は片方が先に死ぬまでの長い時間、師と弟子という関係を続けました。当初は俳句を通じての師と弟子でしたが、それぞれ文系および理系の専門家として全く違った人生を歩みながら、ともに学び、時にはともに遊びながら、人生を過ごしたのでした。
ちなみに先に死んだのは英語教師の方です。英語教師は熊本から英国へ留学し、帰国後は東大で英語を教えていましたが、一大決心で朝日新聞お抱えの小説家になりました。
それからおよそ十年間、朝日新聞に連載小説を書き続けた人は夏目漱石その人です。『吾輩は猫である』に登場する寒月先生は寺田寅彦がモデルだとされています。いったい著名な物理学者であった寺田が、文学者である漱石を師と慕い学んだものは何だったのでしょう。わたしはずっとそれが気になっていました。その答えは、寺田寅彦が漱石の死後に二人の成り行きを思い出しつつ記述した『夏目漱石先生の追憶』の中にありました。
寺田寅彦は、こう書いています。「先生からは色々のものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた」自然の美を発見し、真と偽を見分け、真を愛し偽を憎むこと、それは単なる知識ではなく、本当らしい嘘(うそ)や嘘っぽい本当に惑わされない自分を作るということではないでしょうか。
つまるところ、寺田が漱石に学んだのは「教養」ということなのでしょう。教養には文系も理系もありません。二人のことを調べてみると、いずれも決して平坦な人生を歩んではいません。ですが二人の心のつながりは、それぞれに前進するためのエネルギーになったことと思います。
2016年は夏目漱石没後100年で した。2017年は生誕150年です。
新しい年を言祝(ことほ)ぐにあたり、夏目漱石と寺田寅彦の師弟に登場を願いました。皆さまの弥栄(いやさか)を心より祈念申し上げます。