280年の歴史に甘えず、地域貢献を模索 今、まさに変革の道半ば
創業は1735(享保20)年。初代文菴が糟屋郡篠栗村(現篠栗町)に移り住み、泯江堂を開業しました。屋号は中国の詩人・杜甫の詩に由来するといい伝えられます。4、5、6代目のころは、黒田藩の御典医も務めました。
現在の病院の形になったのは、10代目だった父のころ。三野原病院150床のほか、介護老人保健施設「ささぐり泯江苑」(入所100人)、グループホームひだまり(18床)、介護付有料老人ホーム「ささぐりの里」、訪問看護や訪問リハビリなども始めました。
父が40年ほど院長を務め、私が院長職を受け継いだのは2013年4月。理事長となったのは2015年7月です。
ここ数年、当院は本当の意味での地域貢献が失われ、日々変わる医療制度の中で対応しきれなくなってきた部分もあったように思います。私が就任してからは、地域に貢献するため、病院だけでなく法人全体の質を高めていかなければならないと、さまざまな改革に取り組んでいます。
■連携の重視
これまで病院と、老健など法人内の他施設との連携が、十分に取れていませんでした。包括的に見たベッドコントロールができていなかったのです。今は、私を含め毎日話し合う場を設けて、患者さんや利用者の状態に合わせたもっとも適した場所への入院、入所ができるようにしています。
さまざまな職種で情報共有を行い、治療方針や目標の方向性を統一するための多職種カンファレンスをするようにもしています。
さらに、2014年度からは各部署の役職者から抽出した問題点をもとに法人目標を作成し、これに乗っ取った部署目標、個人目標を設定し、年度末での振り返りや「キャリアファイル」での個人評価を行うようにしています。
■情報発信も活発化
地域への情報発信にも力を入れ始めました。システムエンジニアを採用し、ホームページの更新頻度や質を向上させたり、法人内での情報のセキュリティーも強化しています。また、近隣の公民館で健康教室を開催するようになりました。認知症、口腔ケア、リハビリなどについて話をしたり、身長や体重、血管年齢、血糖値の計測をしたりして、住民の方々の健康管理に役立てていただいています。
私も講演に呼んでいただくことが出てきました。神経内科が専門なので、認知症の話を依頼されることがほとんどですね。「認知症の予防のために文化活動がお勧め」ということで、私の文化的活動のひとつであるギターの弾き語りを披露してから、話をするのですが、先日は、400人以上が集まった大ホールで歌いまして。職員からは「だんだんうまくなっている」と言われたりしています(笑)。
ホームページを見て若い人が外来に来てくれたり、講演を聞いて来院してくれる人がいたりすると、手応えを感じますね。
■無農薬野菜、外来治療食...食事にも定評
病院や老健などの食事は、これまで一度も外部委託することなく、すべて「自前」。病院の横の畑では地域の方と無農薬野菜を作り、それも食材として使用しています。患者さんだけでなく、さまざまな病院の食事を知っている医師からも「おいしい」と好評です。
在宅の人に対して、高血圧食、糖尿病食、貧血食、透析食など、状態に合わせた処方箋ならぬ「食事箋」を医師が出し、その食事を病院1階の喫茶で提供する「外来治療食」も前院長のころに始めた独自サービスです。
今後は、病院まで来るのが難しい人の自宅に、温かくておいしい治療食を届けられるようにしたいとも考えています。
■町内唯一の地域包括ケア病床
これまでは慢性期の方を対象とした病院でしたが、2015年1月に国の認可を取り、地域包括ケア病床( 14床)の運用を開始。さらに同11月からは介護療養病床を医療療養病床に変更しました。
地域包括ケア病床は、篠栗町内で唯一です。また入院患者全体のうち、神経難病の方が4割ほどを占めるというのも当院の特徴のひとつ。レスパイト入院も受け入れています。回復期から慢性期まで診て、そして在宅へとつなげる、その役割をより明確にしていきたいと考えています。
振り返ると、院長になってからの2年半で、こんなにもたくさんのことを変えてきたのか、と驚きます。それでも、就任時に職員の前で宣言した「5年で完成形にします」には間に合いそうにはありません。「まだまだ途中」というのが実感ですね。
診療報酬はマイナス改定が続き、かじ取りは楽ではありません。でも、職員の意識改革もだいぶ進んできています。
2016年からは、急性期病院との太いパイプを作っていきたいと思っています。法人内がしっかりしてくれば、急性期の病院も、安心して当院に患者さんを送れるようになると思うのです。
時代の大きな流れに即しながら、この地域に貢献する。そのために、職員と一緒に、がんばらなければいけませんね。