中四国初 補助人工心臓埋め込み成功
愛媛大学大学院医学系研究科 心臓血管・呼吸器外科学 教授 泉谷裕則
今年、中国・四国地方で初めて、患者の体内に補助人工心臓を埋め込む手術に成功した愛媛大学大学院の泉谷裕則教授。体外型補助人工心臓の設置手術と比べて、ポンプの流量性能がよく、合併症のリスクも低くなるこの手術は、移植を待つ患者の生活の質を上げると期待されている。
中四国の重症心不全治療をけん引する泉谷教授に、これまでの歩みをたずねた。
―医者になったきっかけは
何が何でも医者になりたいとか、誰かに憧れて、というのではないんです。家系に医師もいませんし。
小学校のころ、勉強ができたんです。当時は、勉強ができれば「将来は医者か弁護士か」と言われた時代。それで、親が「医者か弁護士がいい」と言っていて刷り込まれた感じですかね。医者になれば親の期待に添える、と。
父がサラリーマンをしていて、家で不満を言っている姿を見ていましたから、なんとなくサラリーマンにはなりたくないなと思っていたのもありました。
私自身はアウトドアが好きで、高校時代は山岳部。中学のころには釣りを極めたりしていましたから、北海道大学の水産学部でサケの養殖とかをやってみたかったんですけど、そんなこと言えなかったですね。
―なぜ、心臓血管外科を選ばれたのですか
循環器に興味があったというわけでも、たぶんないですね。たまたま仲が良かった同級生が循環器内科にいくと。それで、お前は循環器の外科へいけと半分冗談で言われたことがきっかけのひとつですかね。自分でも、内科より外科に向いているかな、という感じはありました。
ちょうど卒業のころは、当時大阪大学にいた川島康生先生が心臓移植を再開したいという意気込みでいらっしゃって、たびたび報道もされていましたので、「心臓移植を見てみたい」という気持ちで大阪大学の博士課程に進んだんです。それからずっと、心臓移植に関する研究をしてきました。
見てみたい、という気持ちだったので、自分がやりたいというのとは別でしたね。でも今、自分は、学生に向かって「お前、何をやりたいんや」とか言っている。
そう考えると、やってきたことと、言っていることが矛盾してますよね。
―海外にも留学されました
アメリカに2度留学しました。毎日がすごく新鮮でしたね。クリスマスシーズンなどは、今まで経験したことがないようなものでした。
最初に行ったカリフォルニアは西海岸で、人も陽気だし、雨も降らない場所。仕事をあまりしないんです。月曜日は週末の疲れを引きずっていて、金曜日は午後5時からは週末だ、と。実質、火・水・木曜しか仕事をしない。雨が降らないので、天気予報も気になりませんでした。研究で行っていて余裕もありましたので、遊びにもよく行きました。
次に行った東海岸のオハイオ州は、また雰囲気が違い、日本に似た、しっかり働くところでした。研修医のようなものだったので、ほとんど遊ぶことはありませんでしたね。
―愛媛大学に来たきっかけは
縁もゆかりもないんです。前教授が大阪大学の出身で、その流れだったんですね。2009年10月に准教授で来て、2011年6月に教授になりました。
愛媛は住むのにいいところですよね。今はうちの子どもが高校生と小学生なので、家族を関西に置いて単身で来ていますが、上の子の身の振り方が決まったら、家内と下の子と、愛媛で一緒に暮らそうと考えています。
関西の家に帰れるのは、盆と正月と、大阪で学会があればその帰りに寄るとかその程度。今までは忙しくてなかなかできなかった山歩きは、最近、少し行けるようになってきました。
―後進の学生たちに求めることは
外科医、しかも心臓とか呼吸とか専門性が高いところを志している人は、もともとやる気にあふれていると思います。変わったやつが多い、ともいわれますけれど。
イメージとしてきついので、学生たちに敬遠されるんです。楽しくなさそうに見えるというのもあって、前教授のときからしばらく入局がありませんでした。今年の4月にやっと1人入って、来年以降は複数期待できるかな、と思っています。
学生に、どうやって医局を選ぶのか聞くと、「給料がいいところですかね」とか「雰囲気がいいところ」とか安易に言うんですよ。もちろんそれ以外にも考えているのでしょうけれど。
だから、僕は「なんで僕らがこういう仕事をしているのか考えたほうがいいよ」と言っています。しんどいけれど、楽しい。むしろ、しんどいことがあってこそ、楽しいんだと思います。