人員を確保し急性期医療を支える

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香川大学医学部 麻酔学講座 教授 白神 豪太郎

白神 豪太郎(しらかみ ごうたろう) 1984 京都大学卒 同大学医学部附属病院麻酔科研修医 1985 自治医科大学附属病院麻酔科ジュニアレジデント 1986 京都市立病院麻酔科医員 1987 京都大学大学院医学研究科外科系専攻入学 1991 同大学医学部附属病院手術部助手 1997 ResearchFellow of Cardiovascular Research, Department of Medicaine,Brigham and Women' s Hospital,Harvard Medical School 1998Research Associate of Department of Anesthesiology,University of Virginia Health Sciences Center 1999 京都大学医学部附属病院手術部助手 2000 同大学大学院医学研究科器官外科学講座臨床病態生理学講師 同大学医学部附属病院デイ・サージャリ―診療部副部長 2002 同助教授 同麻酔科助教授 2008 香川大学医学部麻酔学講座教授

医師を志したきっかけは。

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医局秘書の紙村さん(右)と山中さんとともに撮影。

 父は転勤族、こどもの頃は2年おきくらいで転校、友達ができてもすぐさよならで、大変つらかったですね。母は開業医の娘でしたが、母方伯父は開業医、叔母の夫は勤務医で、私の家庭と違って、ずーっと同じところに住んでいました。

 こどもの浅はかな考えで、医者には転勤がないものと思っていました。医師は地元に根をおろして人の役に立てるし、能力も生かせるのでないかと思いました。歴史が好きだったので、歴史を勉強しようと思った頃もありましたが、自分の才能に自信なく、母から「医者なんて多少勉強が出来なくてもなれる。職人だから技術を身に付ければ、一生食べるのに困らない」と言われて、医学部を受験しました。しかし、実際はそんなに甘くはありませんでしたね( 笑)。

麻酔科を選んだ理由とは。

 医学部に入学したときは麻酔科の存在そのものを知りませんでした。5年生の夏休みに病院実習で外科に行き、手術につきました。麻酔は気管挿管を内科の先生が行ない、その後その先生は手術室からいなくなってしまって、麻酔の印象は残っていません。

 次の春休み、放射線科に病院実習で行きました。放射線科の部長先生から「今、放射線科の若い医師を麻酔科に研修に行かせている」とお聞きし、私は放射線科医がなぜ麻酔科の研修に行くのかと疑問に思いました。放射線科でも患者さんの容体が急変することはよくあり、急変時の対応には麻酔科の知識、技術が大変役立つということを知りました。

 6年生の夏休み、麻酔科を見てみようと思い、神戸中央市民病院へ実習に行きました。ある晩、レジデントの先生について救急当直につきました。その先生は私より2学年上で、医師になって2年目、3か月間の麻酔科ローテートの経験がありました。救急車で患者さんが搬送されてきました。自動車の排気ガスを吸い込み自殺を図った患者さんということでした。患者さんは意識がなく、呼吸も絶え絶え。右も左も分からない私には「これはあかんやろ」と思え、どうなることかと固唾をのんでいました。そのレジデントの先生は一生懸命、気管挿管を試みますが、口が開かず挿管できません。しばらくして「麻酔科当直の先生を呼んでください!」と叫びました。麻酔科の先生はすぐ来られて、難なく経鼻挿管しました。気道確保後、患者さんは、それまでもがき苦ししんでいたのがうそのように、静かになります。私はあっけにとられ、その麻酔科の先生から後光がさしているように見えました。その後ICUに転送、意識も回復、2日後にICUからも転棟になりました。その時のスマートな麻酔科の先生の立ち振る舞いがもの凄くかっこうよく、その姿にあこがれて、麻酔科の門を叩きました。

今後の目標を教えてください。

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昨年10月に開催された香川大学医学部麻酔学講座開講30周年の祝賀会の記念写真。開講当初は麻酔・救急医学講座だったが、平成20 年に麻酔学講座と救急災害医学講座に分かれており、「酔香会」は香川大学医学部麻酔学講座同門会の名称

 第一の目標は、香川大学の麻酔科を維持し続けることです。私がこちらに赴任する直前に新聞報道もされましたが、一般病院のみならず大学病院でも麻酔科が崩壊の危機に瀕していました。国立大学法人化、新臨床研修制度の導入、手術件数の激増などにより、多くの麻酔科医が疲弊して大学病院を去っていました。過酷な労働環境に若い医師が敬遠するという悪循環に陥りました。私の前任地の京都大学でも、香川大学でも同様の状況でした。

 香川大学に麻酔科があることが、この地域の医療に貢献するためには、極めて重要だと考えています。言い過ぎかもしれませんが、麻酔科があるからこそ大学病院が存続できる、高度な急性期医療、手術が提供できると思っています。

 麻酔科を維持し続けるためには医師確保が最重要です。まずはしっかり確実に臨床を行なうこと、臨床を通じて学生・研修医を教育すること、麻酔科医が輝いて楽しそうに働いている姿をみせることが重要だと思っています。麻酔科臨床に興味を持った人にはぜひ麻酔科の門を叩いてほしいと願っています。

 さいわい、当講座の先生方は臨床も教育も大変熱意を持って取り組んでくださっていて、私の赴任後、毎年平均2人の新入局員を迎えることができています。現在の大学医局員22人のうち、12人が私の赴任後の入局です。

医学部附属病院の副病院長も兼務されていますね。

 副病院長は5人いますが、私は病院再開発と広報を担当しています。

 現在、当院では再開発が進行中です。本年7月には新病棟を開院しました。まもなく新手術棟を着工、来年竣工予定で、手術室が最新化されます。5年後には当院は全く姿を変えていることになります。

 広報の業務としては、毎月発行される病院ニュースの編集、病院のウェブサイト管理、新聞記事のリリースなどがあります。病院業務としてはほかに、集中治療部長とME機器管理センター長なども兼務しています。

医局の若いスタッフへのメッセージをお願いします。

 あまり深刻に考えすぎず、とりあえずやってみることが大切だと思います。ああでもない、こうでもないと頭の中だけで考えていても先には進めません。まず、走ってみる。それから考える。考えながら、また走る。それの繰り返しかと思います。あれもやりたい、これもやりたいでは何もできないと思います。自分がこれだと思った道を突き進んでもらいたいですね。

ご家族は。

 現在、単身赴任中です。ここから歩いて7分の官舎に住んでいます。家族は京都にいます。末っ子は高校2年生で、「その子が大学に入学するまでは、来(こ)ん」と家内には宣言されています。自分が転勤族の子だったので、自分の子には同じ思いをさせたくないと思っています。

香川に住んで6年、感想は。

 実は3歳から5歳までの2年ほど、香川県西部の観音寺市に住んでいました。こちらに赴任後、40数年ぶりに観音寺にも行きましたが、幼いころとは随分変わっていました。

 昔はSLが走っていましたし、宇高連絡船もありましたが、今はありません。幼い頃の影響もあって、香川県は随分遠いイメージでしたが、今は橋ができて本当に近くなりました。

 香川県は気候も温暖で過ごしやすいし、何と言ってもうどんは絶品です。


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