独立行政法人国立病院機構 山口宇部医療センター院長 上岡 博
呼吸器を学ぶ医師の集まる病院へ
山口宇部医療センターは、山口大学の膝元である宇部市に位置するが、岡山大学の関連病院で、院長も岡山大学の出身だ。山口大学医学部の伝統は決して浅くはなく、戦中から続くだけに、岡山大学医学部とこの病院の歴史の長さが感じられる。今では山口大学出身の医師が、半数ほどを占めているらしい。時代の流れと、院長の温和な人柄ゆえだろう。
当院の前身は国立療養所山陽荘という結核の療養所です。
私が来た時はすでに山陽病院となり、実際の稼働は50床でしたが、結核病床の公称数は100でした。まだ結核の病院というイメージが残る病院でした。肺癌や間質性肺炎といった呼吸器疾患全般を診る病院にしたくて、イメージを払拭したかった。それでまず、病院の名前を「山口宇部医療センター」と改めました。今は結核の患者さん自体が減少していますから、去年の4月に結核病床は30に減らしました。そして結核の専門のチームをなくし、他の呼吸器を診るチームの中に組み込みました。
昔と違って喘息やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)は、重症の時期を除けば外来でも診られますので、今は肺癌が中心です。当院のセカンドネームは、「山口がん・呼吸器センター」というんですよ。
私が来たころは結核以外でも、慢性呼吸不全や結核後遺症といった慢性期の患者さんがたくさんいらっしゃいましたが、今は様変わりして、急性期の患者さんが多くなりました。一般病床は215床しかないんですけど、肺癌の患者さんを年間に600人以上診ていますし、悪性胸膜中皮腫の患者さんも15人くらい診ています。
癌に限らず、呼吸器の疾患には対応でき、山口県全域から来られます。この分野では県内でどこにも負けていないと思います。
山口大学には呼吸器内科がありませんから、山大出身で呼吸器をやりたい先生にとって、もっと魅力的な病院にすべきだろうと考えています。ポリクリや卒後研修などで来ていただいていますが、今後も呼吸器を勉強したい人がもっと集まりやすい病院を目指します。
私は岡山大学で肺癌を専門に診ていた呼吸器の専門医で、肺癌グループのチーフでしたが、元々は癌の化学療法から肺癌を診るようになった経緯があり、若いころは血液の医者でした。今は入院患者は持っていませんが、外来は診ています。同じ呼吸器の医者でも得意不得意がありますから、患者さんを適した先生に振り分ける係です。
昭和43年からは重度心身障害児の病床もあり、現在は120床です。特に重症な患者さんを引き受けて、ポストNICUの患者さんも多く看ています。
緩和ケアにも力を入れています。当院はもともと療養目的で作られた施設ですから、眺めは最高です。小高い場所にあって、風も気持ちがいい。「この立地なら、リゾートホテルにした方が儲かるんじゃないか」なんて考えています。緩和ケア病棟は海に近い位置にありますから、楽しんでもらっていると思いますよ。
平成18年までは看護学校も持っていましたが、国立病院機構の「各県に1校」という方針で廃校にしました。今山口県では岩国に在ります。
今、常勤医師は32人いますが、ほとんどが呼吸器か肺癌の専門です。とはいってもそれだけでは患者さんをうまく診られませんから、循環器や消化器、放射線などの医師も数名います。長期療養をされる患者さんのために週に1度、歯科の先生にも来てもらっています。
当院は歯科も標榜していて、院内には歯科治療を出来る設備もあるんですよ。同じように耳鼻科や皮膚科の先生にも来ていただいています。
定年になったら岡山に戻りたいなと思い、しばらくは官舎にいましたが、宇部が好きになっちゃって家を買いました。官舎は3LDKで、住むには広いが、職員を呼んで飲むには狭かった。今では院内のいろんな職種の人を呼んで、たびたび宴会を開いています。女房も宴会が大好きですから、呼んだら喜んでくれます。
- 【記者の目】
- 病院からは周防灘が一望でき、晴れた日は国東半島が見えるらしい。院長の趣味は釣りだが、遠浅で釣りには不向きとのこと。
- 記者は有明海に面した町の出身で、中学校の同級生には海苔養殖業者になった者もおり、海には馴染みがあるが、内海である有明海と瀬戸内海ではだいぶ印象が異なる。ここは満ち引きが激しいといっても、水に土が混じらず、澄んでいる。
- 福岡県とは隣県だが、見たこともない植物が海辺に生えていた。距離的には鹿児島・宮崎よりも近いが、やはり景色が違う。「本州に渡ったんだ」という感慨を持った。(平増)