唐津赤十字病院 院長 志田原 哲
「院長室で撮るなら片付けとけばよかった」と笑う志田原院長に、作戦本部ですからねと、こちらも笑ってカメラを向けた(9 月24 日)
Profile
■昭和26年 唐津市生まれ
■昭和51年九州大学医学部卒
■昭和59年唐津赤十字病院整形外科部長、平成11年同副院長、平成20年同院長に就任、現在に至る。
日本整形外科学会・専門医、日本整形外科学会リウマチ認定医、日本医師会健康スポーツ認定医
取材が始まるまで10 分あったので、応接室に案内してくれた総務課の大松さんと立ち話をした。趣味は読書だという。こんな時間は貴重だ。院長についての情報はほとんど持っていないから、病院の受付や窓口担当者の雰囲気で、これから面談する院長の人柄をつかもうとする。10 分はすぐに過ぎてドアが開き、志田原院長が入ってこられた。さて今回はどんな話になるだろう。
―院長は唐津のご出身だそうですね―
ええ、そうです。でもこの病院が、私の専門である整形外科と関連があるとは知りませんでした。たまたま整形外科があったから帰れたんです。
―顔なじみや同窓生はよろこばれたでしょう―
あなたのお父さんやお母さんを知っているよとか、同級生だもんね、と言って、私が直接知らなくても話しかけてもらえます。その意味では安心感があるんでしょうね。そこはこの町の人にも私にも有利かなと思います。偶然、九大と関連のある病院だったことがさいわいでした。
―この病院の特長は―
この地域の三次医療は、福岡にしても佐賀にしても50km離れていて、その間にないんですね。だからここが唯一の総合的な病院なんですよ。
全部はまかなえませんが、やれることは全部やり、それでもだめだったら50kmを搬送する。それで唐津地域の人たちの、最後の砦となっているんです。急性期病院で300床を揃えているのは、この圏内ではうちだけです。
―そうすると職員に、砦を守ろうとする気持ちが生まれるでしょうね―
「簡単には断れない」というバックグラウンドがありますので、都市部みたいに、忙しければよそで診てもらうというような感覚ではなく、「ここでなんとかしてあげないと、次は50km走ることになる」という自覚はみんなの中にあると思います。その意味ではやりがいがあるかも知れません。
―地域との連携はどうされていますか―
地域の医師と顔の見える関係を作るために、平成20年10月から紹介症例報告会という集まりを、2か月に1回行なっています。院外から10人前後の医師、院内は50人前後の参加があり、紹介された患者さんの症例を報告するほかに、医療に関する発表も行なわれます。
地域のホームドクターとマンツーマンで話すことになるので、紹介された患者の家族の状況なども分かりますし、電話のやり取りも、顔を見知っているからスムースになりますね。通算で25回目の報告会は、9月に唐津シーサイドホテルを借り、久留米大学名誉教授の薬師寺道明先生を招いて、少し大きくやりました。
―新築移転されるそうですが―
ここは市立病院から赤十字病院に移管された経緯があるので、土地は唐津市の所有です。だいぶ傷んできたこともあって、ここから2kmほど離れた中央部の山寄りに移転します。
―どうしてお医者さんになられたんですか?―
当時は大企業に就職するのが一般的でしたが、私は、一つの仕事で最初から最後まで見られる仕事は何だろうかと考えたんです。その時に医者と建築という選択肢があって、一期校(当時)は医学部、二期校(同)で工学部を受験することにし、最初に受かった九大の医学部に進みました。
進路を決めるにあたって、父親の友だちがこの町で外科医を開業していたので、話を聞きにいったことがあります。そこで、いろんなことを解決していく話や空間認識の話、そして医者の仕事のすばらしさや、やりがいについて教わりました。
―昔と今のお医者さんに違いはあるんですか―
医師のいちばん基本となる、病気で困っている人を助けたいという感情は、昔も今も同じだと思います。目の前にある現象(病人)になんとか役に立ちたいと、資源を最大限に利用して改善しようという気持ちはみんな持っていると思います。
でも今は道具や技術があり過ぎて、そっちに頼り過ぎていることはあるかも知れないですね。前は打つ手が少なかったから、心のケアの部分が大きかったかも知れない。
―いま振り返って、医療全体をどう見ますか―
病気とは、自然治癒力が弱くなっている状態だから、医療の知識と技術で少しだけ助けてあげているという感覚でしょうか。あとは自然に治っていくものであって、全部をコントロールしているわけではないと思っています。そこは間違わないようにしておかなければいけないです。
やり過ぎたらうまくいかないことを、いろんな経験の中で知って考え直したのかもしれませんが、当初から思っていたことが、年とともに確信に変わっていきました。
通常の場合、人は永遠に生きるものではないことを薄々感じてくるものでしょうから、私たちはそれをじゃましない範囲で手助けしているのかなあという気がしますね。
医師は患者といっしょに、病気と闘う姿勢でありながら、個々人の死生観や生活環境も考えてあげて、家族や本人がいちばんしあわせな方法も模索していいんじゃないかと私は思います。
―知識や技術だけでなく、人としてどうあるかも問われていく時代です―
人間性の問題はむつかしいですね。人に対する気づきとか心配りとか、持っている人は最初から持っています。本質的には両親からもらったものだろうと思います。ただ、そこが大切だということは、意外に医師は分かっていないかもしれない。
―もし目の前に、医師を目指す若い人がいたら、何を助言されますかー
やっぱり、ものごとに謙虚であれということでしょうね。人間のすることだから完全はないです。自信を持つことは大切ですが、そこに怖れも忘れてはいけないよと言うでしょうね。
―趣味はなんでしょう―
若いころはバスケットをやっていましたが、今はNBA観戦です。ゴルフもよくやりますね。