新築移転を経てハード面の充実を最大限に生かすために
―新築移転が完了しました。
昨年8月1日に現在地に新築移転しました。前の建物は1981(昭和56)年に竣工して35年余りにわたって診療を続けてきましたが、建物が時代に適合しなくなっていました。その背景には、医療が病院完結型から地域完結型に変わり、病院としての役割が分担されるようになったという事情があります。
当院は地域医療の最後の砦(とりで)として急性期の役割を果たすことになりますが、医療機器も古くなりましたし、建物自体の老朽化も進んだため配管が破裂するということもありました。このまま使用するにはメンテナンスが困難な状況でしたので、建て替えの話が浮上しました。
2009年に、国は地域医療再生計画を策定し、経済対策と地域医療の再生という二つの目的を発表しました。その計画の一つとして当院の新築移転が候補としてあげられ、県で採択されたのです。
前の敷地は唐津市民病院が1957(昭和32)年に破たんしたことがきっかけで赤十字病院に移管されたものでした。土地は唐津市の所有だったのですが、医療を続ける場合には提供を続けるという約束があったため、現地で建て替えをするのか、あるいは移転して新築するのかなどを話し合いました。
最終的に、当院がこの地域での中核的な医療施設であり、最終的な引き受け先になっていることもあって、改修しながらの医療提供は難しいという結論になりました。医療提供に制限が出て市民に迷惑をかけることに加え、経営的にも大きな赤字を生むことが決め手になったと思います。
移転先として最初は火力発電所跡地が候補地としてあがっていました。しかし、東日本大震災後に玄海原子力発電所が稼働を停止し、電力不足を補うために火力発電所の廃止時期が不透明となりました。医療再生計画基金の運用に年限が決まっていたこともあって、現在地への移転が決まったわけです。
―災害拠点病院としてどのような災害を想定しているのでしょう。
このあたりの災害としては主に水害を想定しています。ただ、地震が起きないといわれていた熊本で、あれだけ大きな地震が発生したことでわかるように、国内においてはどのような場所でも地震災害を想定すべきだと思います。
赤十字病院という成り立ちから、災害時に支援、応援に派遣することは言うまでもありませんが、この地域で災害が起こった場合の受け入れ拠点病院としての役割があります。
当院はDMATチームを2班置いており、赤十字としての通常の救護班を常時3班置いています。熊本地震については、救護班を延べ5班送りました。病院支援ということでは、熊本赤十字病院が被災しましたので、医師や看護師に加えて事務部の職員を派遣しています。病院支援では5人派遣し、トータルでは48人を派遣しました。
ハード面での災害対策としては、この地域で初めての大型免震建物になりました。入口を入ってすぐのロビーであるガレリアと講堂は外に向かって開放できるようにしており、職員用駐車場と合わせて災害時にはトリアージなどに使用する計画です。
―東日本大震災や熊本地震でもわかるように、災害時に病院が被災することで2次的な被害が発生することもあります。
当然、災害時には病院機能の維持が最重要課題となります。そのうえで被災時の拠点として最低3日間の食料備蓄、ライフラインの確保が必要です。
当院では、水のタンクに加えて井戸を4本掘って井水を確保しています。非常用発電と食料の備蓄は標準の72時間分を確保しています。それに加えて、電気系統は、本線・予備線による2回線からの受電設備を用意しました。仮設トイレ用の汚水桝(ます)は9個準備しています。
―唐津市には玄海原子力発電所があります。原発が被災したときの備えはありますか。
管理区域内(発電所の建物内部で放射線管理が必要な箇所)の被ばく事故に関しては、当院で被ばく医療を担当します。しかし、東日本大震災における福島第一原子力発電所のような大きな被災事故が発生した場合、おそらくこのあたりは避難指示が出るはずです。
したがって、特に被災時の被ばく対策というよりは避難に備えた対策が必要になるでしょう。原発内の労災や管理区域内の被ばく事故に関しては通常の医療と同じように対応が可能です。
―災害時の医療について、災害拠点病院のあるべき姿とは。
被災地支援に行く場合と支援を受け入れる場合の二つのパターンが考えられますね。少なくとも建物が頑丈で、災害時でも対応が可能な機能を失わないことが肝要です。それで初めて災害に備えることができると思います。
そういう意味では当院は、やっと災害時の対応が可能になりました。あとは災害の規模によって対応が変わってきますが、大きな災害時には一次的な施設として地域外搬送機能を果たすことになります。
地域の病院と連携した災害訓練や災害時の物資提供協定締結などについて、現時点では実現していませんが、保健所など行政が中心となって災害時協定を結ぼうという動きはあります。今後の課題であり、できるだけ早く進めるべきでしょうね。
私自身は阪神・淡路大震災の時には神戸に入り、東日本大震災の時には福島に入りました。被災地域の患者さんたちにとって、病院が機能しているかどうかは生死にかかわることで、まさに生命線であることは身に染みています。
当院では、救護班はもちろん病院内の訓練と県が主導する訓練を実施しています。赤十字は血液センターと各支部、病院がありますので、それらが集まって夏に唐津市の波戸岬の少年の家で合宿訓練しています。また、年に1度は九州・沖縄の8県が集まって合同で想定訓練しています。
DMATは短期集中型の48時間くらいの活動です。私たちが想定しているのは赤十字病院に対する長期的な支援で、そういったノウハウは各赤十字支部間で共有しています。
新しい建物はできましたが、これからは訓練が課題です。ハード面の充実をいかに最大限活用するのか、今後はそれが災害訓練のメインテーマになるでしょう。近隣施設や行政との連携を図りながら、災害拠点病院としての機能を十分発揮できるように準備を進めていきたいと思います。