全国の医療に貢献する「宇和島モデル」に
当院は2004年に開設し、急性期医療は泌尿器において万波誠先生を中心に展開、特に腎移植手術については開院当初より積極的に行い、常にその手術数は全国でも片手に入る実績を誇っています。北は北海道から南は沖縄まで、全国から腎不全で移植を望む患者様が来られています。
また、地域に大変重要な意味を持つ、高齢者医療にも積極的に取り組み、地域の皆様にも支えられ、10周年の節目を迎えることができました。
私は昨年9月に40歳で院長として就任しました。
札幌医科大学で循環器と腎臓、代謝・分泌内科を学び、医局人事で北海道内の病院を13年間回り臨床に取り組むと同時に、経営や経済の本を読みふけり、医療制度や法律なども学びました。そうこうする中で、h―MBA(医療経営学修士)という資格があることを知り、その資格の取得のために上京。平日は医師として勤務し、週末は大学院での受講という生活を2年続けました。病院経営への関心がそこまで強かったわけです。
卒後、いくつかの病院から院長職のお誘いをうけましたが、その中で、結果として徳洲会を選びました。その理由は、大阪、福岡、鹿児島の奄美、沖縄と、それぞれの徳洲会病院を見学し、その際にどの病院でも想像をはるかに上回る「おもてなしの心」を感じたからです。また、医療法人徳洲会の副理事長である安富祖(あふそ)久明先生と面談し、病院を経営したいとの夢を話したところ、「失敗を恐れず思いきりやって、もっと成長しなさい」と言われ、あっという間に宇和島徳洲会病院院長就任が決まりました。
困っている患者さんやご家族の気持ちをきっちりとくみ取り、出来る限りの対応をする。そうすれば病院を継続できるという日本の医療制度です。患者さんのために、漏れのないよう具体的に実行する事です。
徳洲会には「生命(いのち)だけは平等だ」という理念があり、その実現のため、現場で細やかに実行する事が我々の責務です。ただし、私が来た頃、徳洲会グループは色々と問題が噴出しており、職員も直接関与していたわけではないですが、大変な気苦労をかかえていました。病院の職員がいくら懸命に働いても、その職員の明るさが欠けてしまうと病院全体が暗くなり、患者さんも来たくはないでしょう。少しでも早く、まず職員が元気を出し、さらに一歩先を読み、患者さんにとって必要なことを、いち早く実行に移す。これを実践できれば患者さんは病院の資質を体感し、きっと足を運んでくれるようになると信じ努めてきました。
このように特別なことをやっている、またはやらないといけないわけではありません。当たり前の事を私は言い続け、職員は地道に実践し、宇和島徳洲会病院の潜在力がいかんなく発揮された結果、経営は劇的に改善しました。
また、宇和島地域は全人口に対して65歳以上が35%と日本全体としたら2040年ぐらいの状況です。そして、中規模都市からやや離れたあたりにある一般的な都市で、同じような地域は日本中どこにでもあります。地方の中堅病院でも、地域に密着し、求められる当たり前のことをやれば、経営も安定し病院はこの地域に存続できるわけです。そうなれば宇和島の人たちも安心して暮らせます。病院が立ち行かなくなれば、最も困るのは地域の患者さんなので、病院は極論として継続することが一番大事です。日本には病院が多すぎるという問題も確かにあるわけですが、田舎や過疎地の病院がつぶれてしまうと、その地域の住民にとって大問題です。これは少し偉そうな言い方かもしれませんが、我々の実践を「宇和島モデル」として、同様の地域で、同じような病院に参考にしていただくことがもしあれば、微力ながら日本の医療に貢献できるのではないかと考えています。
―市民向け健康講座を月に10回以上やっているのは、院内のモチベーションアップもねらってのことですか。
健康講座は特に院内のモチベーションアップを意識しているわけではありません。しいて言えば朝礼など多くの職員が集まる場所で「我々は患者さんのためにここにいるんだ」と同じことでも大切なところは繰り返し発言します。
また、院内の職員が集まる時に私への参加要請があれば、飲み会も含めて全部応じています。私はほとんど酒が飲めないのですが、飲み会にも1年で150回くらい参加しています。
また、私自身が有言実行を貫くことが大切です。スタッフに厳しいことを言っているので、自分に対してはもっと厳しくしています。
モチベーションアップに大事なのは、現場で苦労する職員にとって働きやすい職場環境を作る、努力の結果出た病院の利益は現場のために極力使いたいという思いがあります。それでどこまで現場のモチベーションが上がっているのか、なかなか計ることは難しいですが、病院であろうが、一般の企業であろうが、経営はサービス業としての側面から必ず結果に現れてくるものです。トップとして現場職員のサービス向上の為にどれだけ力を使うことが出来るかだと常々考えています。
実は私は参謀タイプで、院長であることが本当にいいのかと思うこともあります。トップになることで私の考えがより色濃く反映されるわけですから。
年齢も若く、縁もゆかりもなく北海道から来て、最初の内は四面楚歌の感じはありました。でも受け入れられているかはわからないままですが、院長として訴え続け、実際に皆が努力し、結果として実績が上がっています。認めてくれてはいるのかなと感じています。背景には現場の見える経験が過去にあったからだと思います。ここに来てまだ一カ月ぐらいのかなり早い段階で経営が上向いてきたのも、以前よりやってみたいと考えていたことを、嫌だったかもしれませんが職員がしっかりと受け止めてくれた結果です。
―北海道から宇和島に移っての感想は。
患者さんも職員も人柄の良さがあふれ出て、おもてなしの気持ちというものがありありと感じ取れます。北海道も宇和島もおおらかですが、北海道はいわゆる開拓者精神があり、アクティブな意味でのおおらかさで、宇和島はどちらかというと保守的です。そのあたりのところは北海道の方がクールですね。
医師としてあるいは一人の人間として、治せる病気は治った方がいいのは当然です。でも治すこと自体が難しい場合が必ずあります。そういう時は患者さんと家族がどう関わっているかという事が非常に大切になります。宇和島は土地柄で家族の関わりがしっかりしているので訪問看護などでも関わりやすいところがあります。
―自分の将来像は。
今の夢は、高齢化の進んだこの宇和島で、全国でも数少ない「認知症を診ることの出来る総合診療医」を養成できるようにすることです。それが可能になれば、多くの医師や看護師が宇和島に集まり地域の活性化に貢献できることでしょう。
その後はいくつかの選択肢があります。一つは徳洲会の中で、養われた力を存分に発揮するというものです。まず、ここで全力投球し経営の結果を出し続ければ、どこか必要な病院から声をかけてもらう事もあるかもしれません。病院のM&A、経営の立て直しや健全化という部分は自分としても力を注ぎたいところで、もし声がかかれば極力要請に応えたいとも考えています。その時に当院の経営が悪化しては意味がありません。病院の現場職員にとって、患者さんに対し最大の責任は、前述しましたが「病院は極論として継続することが、一番大事」ということです。宇和島徳洲会病院の職員はとても優しい人が多いです。ただ、そこを理解しないで目先の優しさだけを訴えるのは無責任です。そのあたりは職員にしっかりと理解してもらうようにうるさく言い続けるつもりです。
今はまだ経営に対してかなり強く意識して行動しています。無意識に判断や行動ができるようにお互い努力し、継続できる病院にします。大切なことはどんなポジションの職員でも、患者さんの為に自分の能力が活かせる環境があるかという事を常に意識し、もし、なければ、自分で作り上げるというぐらいの意識を持つ、そこがどんな職種でも大切だと思います。