謙虚さと自信との間に
いわゆる「百軒訪問」といわれる化粧品の訪問販売の世界で、売り上げが常に県内トップクラスの40代の女性から聞いた話。
彼女は玄関先に立ち、まず心の中で「40年間待たせて申しわけありませんでした」と頭を下げ、そのあとすぐ、「でも私が来ましたから、もう大丈夫です」と胸を張って、見知らぬ家のチャイムを押すそうである。
プロとはこのような人のことだろう。「申しわけなかった」と、目線が下向く謙虚さと、「でも、私が来たから大丈夫」という、目線が上向く自信との間に生じる、扇型の角度の中に相手は包み込まれるのではないかと思う。やたらペコペコするだけや、自信満々だけの人からは、たしかに、私は買わない。
これは医療の世界にもいえそうだと、いずれ患者になる身として思う。「患者に信頼され選ばれる医療者に」とは言っても、謙虚の塊( かたまり) や自信たっぷりなだけでは、患者は取り付く島がなく、苦情の一
理念と志( こころざし)
もう10年以上も前のことだが「企業理念」の本質は何かと、著名な研究者に尋ねたら、「実現するなら我が社を解散してもかまわないと断言できるほどの使命を帯びたもの」との答えが返ってきた。
これは究極の姿であり、一般の企業はそこまで悲壮にならなくていい。顧客対策上や販売促進を念頭に置き、限定的な「目標」に対して、もっとゆるやかに、情緒的に表わしたもので充分だ。理念がなくても、組織が存続発展している限りは社会から必要とされている。そこさえ見ておけばいい。
余談だが、組織=理念なら、個人=志となるだろう。私が理念に眼を向けないのは志がないからで、ない者があれこれ言うのはこっけいだ。
3つの阻害要因
次は自動車の販売台数日本一になった男性セールスマンから聞いた話。
商品の説明を聞いても買わない理由は3つある。
①お金がない②必要がない③決定権がない。
しかし話術が巧みなら、商品が気に入ればお金はどのようにしてもつくるし、不要なものも欲しくなる。3つのうち2つは変えられる。だが、相手に決定権がなければどうにもならない。長々と説明して盛り上がった後に、「今夜もう一度その話を夫にしてください」と言われるようなもので、決定権のない人は相手にしないという。また「事前にセールスしないこと」だとも言った。どうせだめだろうと決めてかかって実際にそうなった場合、売れなかったことに安心するそうである。彼は最後にこう述べた。「チャイムを鳴らしても反応がないから裏に回ってみたら、洗濯物を干していた。こういった場合の成約率は高い。なぜなら、大半のセールスマンが立ち去るから」。