門司メディカルセンター 院長 蜂須賀 研二
今年4月に九州労災病院門司メディカルセンターに赴任した蜂須賀研二院長。高齢社会を背景にますます重要性を増すリハビリの専門医でもある蜂須賀院長に、地域の病院の役割や目指すものを聞いた。
ここには以前から労災病院がありました。住民の方々の要請を受けて、1955年に九州労災病院の門司分院という形で開設し、2年後に門司労災病院となりました。1989年12月、現在の場所に移転。その後、福岡県内に5つあった労災病院が統廃合され、2008年、九州労災病院門司メディカルセンターという形になりました。
開設当時は門司もにぎやかでしたが、今は労働災害も減り、高齢化率も高くなっています。門司地区の基幹病院として、中高年の総合的な医療ケアの中心となるべく、努力しているところです。
―地域の中での存在は
年間1千件近い急患があります。地域の住民の方が、何かあった時に頼りになる病院に、と考えています。
私は3月まで産業医科大学にいました。大学病院では、診断して、治療して、そこで終わり。自宅に帰ってどう生活するのかというところまでは十分に対応してこなかったですし、この急性期にどれだけ機能を改善するかということが大事だったわけです。
でも、こちらにくると、それだけでは物事が終わらない。病気の治療をしても、ほかの合併症があるとか、ご家族も高齢で福祉的支援が必要、とか。そうすると、急性期病院でやっていた感覚ばかりではなく、包括的な医療や支援をやっていかなければという気持ちになりますね。
例えば、65歳で脳卒中になって75歳で亡くなるとします。急性期治療はリハビリも含め、大きな急性期病院で実施しています。また、集中的リハビリは回復期リハビリ病院で行なわれるようになりました。したがって、発症直後から6か月の医療制度はある程度整いましたが、残りの9年と6か月間の治療、すなわち維持期が問題です。医療と福祉が合体して、地域でうまくやっていく総合的包括的地域医療がより重要ではないかと思います。
具体的には地域医療連携室を通じたかかりつけ医との連携や、地域の公民館などで開いている講座を通じた住民への情報発信、そういう努力が必要なのかなと思います。また診療時にも、「お風呂には入っていますか」など、患者さんの生活そのものを活性化するような質問や助言をしてあげるといいと思います。それが高齢者が多い地域の病院の役目で、結果的に疾病の予防や治療成績の向上、住民の安心感につながってくることだと思います。
―なぜ医師になったのですか
私は福岡生まれの宮崎育ち。祖父が門司港で開業医をしていたので、何度も遊びにきましたね。父も医師で、宮崎県立病院に勤めていました。医師になれ、と誰かに言われたわけではないですが、その仕事に親しみがあった。「人を助けよう!」とかいう明確なものではなくて、人の診療をして役に立つのが当たり前のような気がしていました。
―医療人になってよかったと思えたことは
ずっとリハビリ医療を専門にやってきましたが、医療全体の中では地味な分野だという気がしていました。でも、本当に人を支えているのはリハ医療だと、この歳になって自信を持って言えるようになりました。
これまでは、急性期病院で急性期治療のサポートのような形でやっていたのですが、こちらの病院に来てから、「実際に患者さんを家庭に帰し、生活をサポートしていくのは、リハビリ的センスだ」と思えるようになったんです。
患者さんをみていると、「あっちが痛い、こっちが痛い、手が動かない、足が動かない」とつらさを訴えてくる。家族の人は「あれができなくなった、これができなくなった」と患者さんを攻撃しがちです。でも、障害がある患者さんが、どうすれば能力を発揮できるかということをアドバイスしてあげると、ご本人がハッピーに生きられるということがわかったんです。ご家族にも、患者さんのできないことを非難するのではなく、持っているいいところを伸ばすように声をかけてほしいですし、それが患者さんの持つ機能を高めるコツじゃないかなと思います。
―後輩にメッセージを
若いころに診た患者さん、症例はずっと自分の中に残ります。わからなかったこと、うまくいかなかったこと、それを勉強していくことで自分の領域ができ、私のような年齢になっても役に立ちます。だから、若い人にはひとつひとつの症例、1人1人の患者さんやご家族に、真剣に対応してくださいと言いたいです。レンガを積み重ねるようにひとつひとつ大事に取り扱ってほしい。そうすることで、患者さんやご家族とのトラブルもほとんど起こらないと思いますし、医者としての知識と技術を高めることにもなります。