誰もが"共生"できる豊かな高齢社会に向けて
「心と脳」という幅広い領域を扱う精神・神経科。疫学的、社会科学的手法による研究で導き出そうとしているのは「豊かな高齢社会」の在り方だ。慶應義塾大学精神・神経科学教室の取り組みを聞いた。
―教室の特徴を。
当精神・神経科は1921年に創設(当時は神経科)された歴史ある医局です。私は7代目の教授で、同窓生は800人を超えます。
医局内には神経心理学、老年精神医学、精神病理学、司法精神医学、精神薬理学、精神療法、精神生理学、社会精神医学といった幅広い専門領域の研究室があり、各領域にはそれぞれの分野の第一線で活躍する研究者が在籍しています。
精神・神経科分野は「心と脳」という実に幅広い領域を扱います。広さに加えて「深く」学ぶことができる環境を整えていることが、当医局の強みだと思います。若手の医師は一部の専門外来で先輩医師の対応を見学し、専門的な診断や治療のノウハウを現場で学んでもらうのです。
―専門としている老年精神医学について。
老年精神医学の分野では、疫学や社会科学などあらゆる手法を駆使して研究します。現在、九州大学を拠点とする高齢者に関する疫学研究を全国8地域で実施しています。
そのうち、都市部である東京都荒川区で研究を進めているのが本学です。幸福度と認知機能の維持など、多角的視点でアプローチしています。
PET検査を行うと、アルツハイマー病の症状が出る15〜20年前から認知症の病因とされる異常たんぱく質のアミロイドとタウたんぱくの脳への蓄積を確認することができます。
もの忘れの症状はありますが、認知症の診断がついていない「軽度認知障害(MCI)」。MCIの前段階で無症状ですが、PET検査では陽性である「前臨床期アルツハイマー病(プレクリニカルAD)」。これらの方に検査結果や認知症になるリスクを告知すべきか、また告知が与える心理的影響などについても今後は考えていく必要があります。
また、アルツハイマー病は診断後も長いスパンで向き合っていくべき疾病です。高齢の単身者が増加していく中で、地域内でのサポート体制の整備も急務と言えるでしょう。
―課題は。
運転免許証を更新する際に75歳以上のドライバーに課されている認知機能検査で「認知症の疑い」と判定された場合は、診断書の提出が必要になります。現状ではその多くの方がMCIレベルと診断されています。今後、これらの人たちの経過を見ていくことが重要です。
高齢者と社会との関わりをより明らかにするために、本学の経済学部と共同し、加齢や長寿と社会経済との関係を分析する「ファイナンシャル・ジェロントロジー(金融老年学)」の研究活動を進めています。加齢や認知能力の低下が資産管理・運用におよぼす影響の調査のほか、金融機関の職員向けの講義など、認知症や加齢に関する知識の普及・啓発に努めています。
テレビ会議システムを使った遠隔評価を、今後は認知症にも応用したいと考えています。将来的には金融機関の窓口に座った高齢者の表情や話し方などから、認知機能を評価できるシステムの構築なども行っていきたいと考えています。
こうしたシステムでは個人情報の保護など、乗り越えるべき課題もたくさんあります。それでも不要な金融取引を回避し、資産を有効に活用することは、日本を元気にすることの一助にもなるのではないかと思います。
精神・神経科の全専門領域に共通して言えるのは、患者本人だけでなく、取り巻く家族や社会の理解や支えを受け、共生していくことが重要であるということ。研究活動を通して、安心して暮らすことのできる、豊かな高齢社会の実現を目指します。
慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室
東京都新宿区信濃町35
TEL:03-3353-1211(代表)
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