友人の結婚式に呼ばれて東京に行った。夫は翻訳家、妻は医師。私が2人を引き合わせたからである。
以下の文は祝賀会での挨拶に加筆したもの。
夫婦というものは、列車の窓から外の光景を眺める相席の2人のようなものである。
その風景がどれほどきれいか、相席の人が好ましいかどうかは、これまでの2人の生き方による。
列車はどこに向かうか、それを2人は知らず、外の景色に想いを巡らせるのみである。人間にできるのはそれくらいのことで、行き先は機関士だけが知っている。その列車の名前を「運命」という。
自分たちで運命を切りひらくつもりなら、それはごう慢というものだ。
車窓から見る景色が美しく、相席の2人がずっとほほ笑んでいられたらいい。だが別の席では、風景が汚く、目の前には憎悪の相手が座っている。
くさん乗せて、それぞれにふさわしい景色を別個に見せながら列車は走り続ける。そして、黄金色に輝く稲田の中を、あるいは葉のほとんど落ちて薄ら寒い暗い森の中のどちらかを突っ切るころ、窓ガラスに映る乗客の顔にはしわが刻まれている。
列車は走り続ける。違う風景の中を、同じ場所に向かって。