人はなぜ、闘病記を読むのだろうか。訪れるかもしれない、体の変化やさまざまな試練を、あらかじめ知って、心の準備をするのだろうか。
本書は、若年性認知症であることを日本人で初めて、実名で、公表した越智俊二さん(2009年に死去)と妻の須美子さんが2009年に執筆したもの。
2004年に、京都市で開かれた国際アルツハイマー病協会国際会議で、多くの参加者の前で講演をした俊二さん。「もの忘れがあっても、いろいろなことができます。考えることもできます。あきらめずに生きていけるように、安心して普通に生きていけるように手助けをしてください」と訴えた。当事者が実状や気持ちを伝えたことは、社会が認知症について深く考えるきっかけになった。
47歳で物忘れが始まり、62歳で亡くなった俊二さん。須美子さんは俊二さんが病気になった時の心境をこう描く。「平凡な私たち。平凡な暮らし。(中略)認知症は突然やって来て、私たちの人生をひっくり返した」
初めて告知された場面は残酷だ。2人に対して医師が告げた病名は「アルツハイマー病」。俊二さんはうつむいて聞いている。その様子に心を痛めた須美子さん。診察室を出て、「何で私だけに言ってくれなかったのですか」と看護師に詰め寄る。看護師の言葉は「すぐに忘れるからいいじゃないですか」。悔しさに胸がうずく。
発症から10年余り。とうとう、俊二さんは須美子さんのことが認識できなくなる。しかし、須美子さんは、受けとめようとする。「いつの日か、何もかも忘れてしまうときが来るでしょう。仕方ありません。それが、夫の生きていく階段なのです」
本書は重いテーマを扱いながらも、須美子さんのおおらかな人柄によって、日常生活に笑顔があったことを教えてくれる。病気は時に人生を思わぬ方向に、大きく変えてしまうこともある。しかし認知症に「なってしまった」ではなく、なったから何が変わったのか、これからどう生きていくのかを、私たちは考えるべきなのだろう。
俊二さんが、日常生活のなかで失敗しても、「そのくらいよかやね」と穏やかに対応した須美子さんの言葉が、誰にでも訪れる老いへの恐怖をふわりと包み込んでくれるような、胸に残る一冊だった。(原)