世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!
人はどうすれば互いにわかりあい、認め合うことができるのか。苫野一徳・熊本大学准教授は、少年時代からそう考えこんで、鬱屈(うっくつ)した日々を送っていた。本書は、「子どもの頃から哲学者」だったと半生を振り返る著者が、哲学を実際に使える実学として提示する実践の書だ。
日本刀鑑定を家業とする家に生まれた著者は、厳格な父と手塚治虫を愛する母のもと、父の教えに従って世の中の流れに背を向ける、一風変わった小学生時代を送る。
キリストに憧れるストイックな中学時代を経て、高校では生徒会長として学校改革に奔走。しかし猪突(ちょとつ)猛進型の著者は周囲と衝突を繰り返し、ついには48時間にわたって号泣と爆笑を繰り返す奇妙な行動に悩まされる。精神科医でなくとも、「もしかして...」と思うのでは。お察しの通り、著者は10代後半から8年間にわたって躁(そう)うつ状態に苦しむことになる。
自殺まで考えた躁うつ状態を救ったのが、哲学との出会いだった。哲学者・竹田青嗣の著書に「ぶっとばされ」た著者は同氏に弟子入りし、以降、哲学探究の道に進む。
哲学に救われた著者が「哲学の使い方」(著者)としてあげるのは、「信念対立の克服」と「自由の相互承認」という哲学の要諦を、日常生活に応用するやり方だ。
信念対立とは、それぞれの持つ「こうすべき」という信念のぶつかりあいであり、その根源にある欲望までお互いがさかのぼることで一定の共通理解が得られると説く。要するに、夫婦げんかの解決も相手の欲望を理解することから始めよう、ということなのだ。
自由でありたいと願うのなら、お互いの自由を認め合って調整し合うこと。これは殺りくの歴史だった人間社会の反省から生まれた革命的思想であり、現在でさえ実現できていないという。
著者は、哲学とは皆が納得する答えを探す方法論であり、どんな難問にも対応可能な考え抜かれた知恵の塊だと胸を張る。
生命をその手に委ねられることもある医師は、答えのない問いの前で立ち尽くすことも多々あるだろう。悩み、迷い、絶望しながら、可能な限りの普遍性を追究する著者の営みは、きっと勇気を与えてくれるに違いない。