特定医療法人耕和会 / 社会福祉法人耕和会 理事長 迫田 耕一朗
特養を建てた経緯
医療法人として歴史を重ねていくうちに多様な人材が育ってきたんです。とくに男性スタッフにどうやって責任ある職位を担ってもらうのか、職員各々の生活を支えるためにどうすればいいのかを考えたのが特別養護老人ホーム(特養)を建てた背景にあります。
それまでは、地域包括支援センターを引き受けるときでも、行政からの依頼で赤字のものを引き受けてきたんです。そうした経験を経て人が育ったので自分たちでやるほうが効率よくできると思っていました。
特養の申請書で強調したのは、医療法人として人材を育ててきたということです。地域医療に貢献しているのでぜひやらせてほしいと申請し、13件の中から選ばれて認めていただきました。
特養の施設では別の福祉法人に場所を提供して、地域の方や入所者、家族が集う場所を作っていただきました。隣に病院があるのは特養の患者さんにとっても安心感があるでしょう。福祉法人のスタッフについては、経営内容よりも心意気がある人たち、熱意に共感させられた法人にお願いしています。これからも「医療と福祉の架け橋」として地域医療に貢献していきたいと思います。
迫田病院開設の経緯
1974年に宮崎医科大学ができ、その準備で長崎から来たのが縁で宮崎に残ることになりました。この地域に初めてできた病院です。
2011年に特定医療法人になったのは、まずは経営の安定化を図りたいというねらいがありました。高額の税金を払っていると内部留保ができなかったんです。私欲のためではなく、経営的に成り立たなければ地域医療に貢献できない。
地域医療を継続するために内部留保して、次の世代にバトンタッチできる経営基盤を築く必要がありました。
医師前夜、奔放な青春
3月で68歳になり、現役の医師としては43年目に入ります。医師になったころは、まずは遊びから覚えなさいという時代でした。医学生時代はキャバレーでトランペットを吹いていました。大学のジャズオーケストラに所属しながら遊郭街にバンドマンと住んで夜のアルバイトに精を出すなど、いまの学生には考えられないでしょうね。
今後の展望
迫田病院で外来を診る柴田紘一郎医師(左)と。長崎大学の先輩である柴田医師は、3月に全国公開される映画『風に立つライオン』のモデルで、長らくアフリカ・ケニアで医療活動を行なってきた。原作者のさだまさしさんも健康診断で迫田病院を訪れるという。
特別養護老人ホーム「城ヶ崎小戸の家」
これまでは裾野を広げることに心を尽くしてきましたが、これからは専門的な医療にも力を注いでいきます。しかし、同時に若い医師の姿勢についても指導しなければならない。
私が一番大事にしているのは「患者さんの背景」を診るということです。患者さんがどんな自負心をもっているかを知らずにその方を診ることはできません。とくに高齢者に対しては、その自負心を活かす医療、自分を認めてもらったと思われる医療を提供するように指導します。若い医師には常にそれを伝えているつもりです。
外科医として勤務している迫田哲平医師は大腸肛門センターを拡充させる意欲があるようです。内視鏡医として学会の評議員をしている木村友昭医師も在籍していますので、大腸肛門、消化器科、腹腔鏡科まで広げて内視鏡手術を専門にしたいということでしょう。
内科の佐々木誠一医師や佐々木(迫田)万里代医師も、糖尿病や甲状腺、高血圧や腎臓病など生活習慣病に関するものを大きく飛躍させたいと考えています。私たちの時代は全般的に診るのが普通でしたが、これからは専門に特化した病院が必要とされてくるでしょう。当院には学会の評議員や指導医をしている先生がいますので、これまでの地域医療への貢献と同時に専門に特化した医療を提供する能力はあると自負しています。
院長職を交代する時代になったのかもしれません。
古い頭では追いつかないので、なにか新しいことがしたいという熱意のある若い医師たちの芽を摘まずに、ある程度まかせてモチベーションを維持していかないといけないでしょう。