医師に育ててくれた国東でがんばりたい

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国東市民病院 病院長 籾井眞二

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【院長プロフィール】
1982 長崎大学医学部卒業
1991 医学博士(九州大学)
1988 九州大学医学部第一外科医員
1992 東国東地域広域国保総合病院外科医長
2004 東国東広域国保総合病院院長
2006 国東市民病院長

当院は昭和32年、国東半島の安岐町に安岐町国民健康保険病院として発足し、広域圏組合いわゆる5町村郡立の東国東地域広域国保総合病院を経て、平成18年に国東市民病院として誕生しました。

近ごろ、地域包括支援センター設置をはじめ地域包括ケアが国の施策になりましたが、これは広島県尾道市の公立みつぎ総合病院の山口昇先生が提唱してきた地域包括医療・ケアシステムがベースになっています。

人の生老病死は途切れ途切れではないので、地域包括ケアの概念を国東地域全体に導入し、サービスをシームレスに受けられる体制を目指したいのですが、この地域では各施設が点在したまま4町合併で国東市となって広域化してしまいました。そういう不利な条件を打破するために、民間や自治体、職種も関係ない連携システムを作ろうと、医師会講演会等に医療スタッフも参加できるようにし、介護施設職員、保健師さん、時には学校の先生も参加できる「仏の里ネットワーク」を作って、体制を整えました。

やっと2年前から自発的な連携組織づくりができ、詳細な利用者連絡票を作って各施設で共有することが可能になってきました。今は病院を大改築の最中で、人口減と機能分化促進のために病床を285から208に減らしながらも、回復期リハビリ病床を新設し、東国東地域唯一の中核病院として、これまで以上に地域の医療施設との連携を図りたいと思います。

過疎地にある病院の悩みに医師の後継者問題があります。私は35歳の時に国東に戻ってきましたが、土地に馴染むには5年や10年はかかります。

国民皆保険制度は医療のフリーアクセスという意味では良いのですが、住民が地域の病院や医師を大事にしないと、結局は自分や家族が困ることになります。そうならないために我々も襟(えり)を正して、自分たちのやり方が正しいか、住民の理解・支持を得られているかを考えなければなりません。

現在いる19人の医師のうちの5人が2回目の赴任です。少子高齢化で過疎地の病院でもがんばってくれる医師がいます。自分たちの子どもや孫たちが帰ってこないこの土地に、縁もゆかりもない医師がきて365日24時間、救急も精一杯やっているからこそ、この地域の医療が守られているのです。

国立中津病院が中津市に移譲されるまで、大分県には市立病院がなかったためか、税金を投入してでも医療を守るという考えが希薄です。当院もようやく繰出し金を増やしてもらいましたが、どの自治体も医療にはお金を出すまいとする姿勢が垣間見えます。しかも診療報酬の改定では、当院のような中小病院が潤うことはまずありません。

誤嚥(ごえん)性肺炎の患者ばかりを診ていても収益にはならないし、手術などをしないと1人あたりのレセプト単価が上がらないという実情があります。

こういうことを言うと、特色のある病院にすればいいと言う人も多いのですが、国東半島の端という地理的要因もあり、極めて困難です。あまりに短兵急な改革ではなく、連携システムも含めて、少しずつ変えていくしかありません。

45年ほど前、看護師らによる2・8(ニッパチ)闘争というものがありました。2は夜勤を複数にしろ、8は夜勤を月に8回以下にしろと言う意味です。当時の看護師は過酷な労働環境で、夜勤看護師1人で月に10回、それで夜勤手当が頭打ちなど、日常茶飯事だったのです。この闘争を契機に看護師の待遇はその後改善されましたが、あまりに急進的だったので、それまで家族的な病院だったのがいきなり対立関係になって内科は総辞職し、ある医師は職員に裏切られたと、四国の診療所に引っ込んでしまいました。

数年前に病棟閉鎖、看護体制の変更を行わざるを得ない状況を経験しましたが、院内の雰囲気が悪くなって看護師の退職が相次ぎました。このように急激な変化についていけない人も多く、あまり急にやろうとすると思わぬ弊害もあるのです。

忘れられない患者のひと言

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趣味のカメラに話が及ぶと籾井院長の表情が緩んだ(写真綾部、聞き手内藤)。上は今年11月に全面改築を終える国東市民病院のイメージ(国東市民病院提供)。

私は一般の消化器から、肺がん、消化器内視鏡など、外科医として一通りのことはしてきました。国東に来て2年目のころ、胃全摘した患者の経過が良くなくて亡くなりました。当時大腸内視鏡のできる医師は少数で、その患者が亡くなる前に私に言いました。「先生、これだけは言うちょくけど、この病院で大腸のカメラができんのはおかしいよ」

と。私はその足で北九州市立医療センターに勉強に行きました。また、国東は胆石や胆管がんの患者が多いのですが、ERCPをする医師がいなくなった時には自分で再開して年間100例前後行ない、EPBD、ESTもやりました。

佐賀大消化器外科教授をされている能城浩和先生とは肺がん手術やVATSを始めましたし、多くの後輩たちと共に相当数の検査・手術をしてきました。これは、お任せしますと住民が言ってくださったからできたことであり、国東の皆さんにオールラウンドな外科医に育てられたのだと言えます。地元の人たちに育てていただいたのですから、頑張るほかありません。

若い医師にも、この地で経験を積んでもらって臨床医としての評価を受けてほしい。「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す」という中国のことわざがありますが、病気だけではなく患者その人までも癒せる医師、そして、地域の医療を守る医師に育ってほしい。小医になれない人が中医、大医にはなれません。そこに行ってみなければ、やってみなければわからないのに、若い人は食わず嫌いが多い。

挑戦してみて、その上で合わないのなら恥じることはないのです。最初から救急医療や僻地医療がやりたいと大上段に構えて、疲れ果ててメンタルを病んで辞めていくなんて馬鹿げています。

私は高校まで国東で育ちました。父が当院の初代院長だったためで、子どものころから病院で遊んでいて、医師とチャンバラしていたことをよく覚えています。だから医師以外の職業は考えられませんでしたし、今では天職だと思っています。

周囲から将来医者になるんだねと言われ続けてきたので、自分の子どもにはそんな教育をしないようにしました(笑)。


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