去る11月1日、アメリカ女性のメイナードさん(29)がオレゴン州の自宅で尊厳死した。尊厳死が合法化されているオレゴン州にわざわざ移り住み、死の予告をフェイスブックに書き込んで、世界中が見守る中、予告通りの日に医師から処方された薬を飲んで死んだ。
さて、これを単純に、尊厳をもって「死ぬ権利」を遂行したと看過してよいものか。そもそも「死ぬ権利」とはいかなる権利なのか?
4月に医師から「脳腫瘍で余命半年」と宣告されていた。だから尊厳死を決めたというその動機の脆弱さに納得がいかない。無論、決断に至った理由は単純ではなく「腫瘍が激しい痛みや記憶障害を引き起こして」「自分をコントロール出来なくなるのが一番怖い」とあるので、当人の葛藤は想像を超えたものであったにちがいない。よって、ここで「動機が脆弱」と決め付けてはならないことはわかっている。しかし、こんな死に方がどうして許容されるのだろうか? 病とは、いかなるものも先ず「受容する」しかない。そして「闘う」ものではなかったのか。たとえ、助からない病とわかっていても、だ。
先々月、「夫を偲ぶ」でここに書いたように、私の夫は2005年に難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されて、6年間の闘病の末に亡くなった。ALSと診断が付けば、その場で生命保険がおりる。診断イコール死の病だからである。余命は「6ヶ月、持って1年」と宣告されたので、家族はその6ヶ月の日々、片時も病人から離れずに過ごすことしか考え得なかった。結果的に6年の歳月を生き延びたので、この密着介護も終わるころは限界に達していた。だが、私は(おそらく二人の子供たちも)、人生にあれほど重厚な日々はなかったと回想し、身勝手ながら、夫に深く感謝している。
夫はまだ意思表示がきちんとできるころ、何回も安楽死を切望し、スイスかオランダ(安楽死が合法化されている国)へ連れて行ってほしいと嘆願した。しかし、一日でも生きてほしいと願う家族は取り合わなかった。そんな時、あるナースが彼に「生きていて何一つうれしいことはないの?一つもないなら死んでもいいけど、一つでもあれば生きていなければ...」と言った。それで彼は、「家族といるのが一つのうれしいことだ」と言って、その時点での安楽死はなくなった。
皮肉なことに病人が意思表明する力があるときは、まだしゃんとしているので誰が見ても安楽死は時期尚早と思う。ところが末期近くになって、もう生きていてもかわいそうなだけと周りが認めるころは、それができなくなっていたことだ。もちろん、そのためにリビングウイルがあり、「無駄な延命治療はしないでほしい」というものだった。
ただ、夫の病気の性質をよく見れば、どこからが延命治療なのか、最初の日からそうだったのではないかと逡巡し、するとあの6年の歳月は全く無意味だったのではないか、と考えこんでしまう。〈あけぼの会会長=2014年11月18日、記〉