急性期の病院でありながらDPC対象病院にはならない理由

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赤十字の病院であるということ|日本赤十字社庄原赤十字病院    中島浩一郎

1979 広島大学卒 広島大学医学部附属病院内科勤務 1981 庄原赤十字病院勤務 1992 広島大学医学部大学院内科系卒 藤井外科病院勤務 庄原赤十字病院勤務庄原市医師会常任理事 日本内科学会総合内科専門医・認定医制度研修指導医 日本消化器病学会会員 日本消化器内視鏡学会会員 日本糖尿病学会会員 日本静脈経腸栄養学会会員 日本病院会総合診療医学会会員 日本プライマリ・ケア連合学会会員 広島大学医学部臨床教授

 先月号(第4号)で福山市民病院の高倉院長を取材した際「庄原赤十字病院に勤務しているころは、他院に移ることを考えなかった」と言われたほどだったので、今回は楽しみに向かった。最寄りの備後庄原駅までは、広島駅から鈍行で2時間。三次駅で一度乗り換える。距離的に遠くはないが、簡単な移動ではなかった。庄原市内には23か所の無医地区があり、今後も増えるだろうと言われている。

 病院は広島県が指定したへき地医療拠点病院。市立三好中央病院、神石高原町立病院と共同で、昨年7月からマイクロバスを改造した移動診療車を運用している。診療車には超音波診断計や血液検査装置、心電計などが搭載され、医師、看護師、薬剤師、検査技師、事務職員の各1人が乗り込み、無医地区を回っている。

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日本赤十字社庄原赤十字病院 中島浩一郎

―病院の特徴を教えてください。

 当院には移動診療車以外にもいろいろな側面があります。まず1つは、庄原市内で唯一の総合病院だということです。地域の2次救急はほとんど受け持っています。

 また、ある程度高度な医療を展開しています。例えば、当院の外科は4人しかいませんが、胃癌や大腸癌、乳癌、肺癌、肝臓癌、食道癌と、非常に高いレベルの手術をしています。外科に限らず、この病気は診る、診ないということは、出来るだけないようにしています。この地域の住民が、都市部と同じような、高いレベルの医療を受けられることを目指して頑張っています。

 それと、庄原市内には小児科や耳鼻科、泌尿器科、皮膚科といった科が当院にしかありません。

そういう科をきちんと維持していくという必要があります。

 当院ではDPCを入れていません。どうしても急性期中心の病院であれば、平均して2週間以内に退院してもらわねばなりませんが、地区に後方病院もありませんから、当院の場合そう出来ないんです。

 許可病床数310床のうち、40床が療養病床です。今の医療制度でDPC無しの急性期というのはちょっとありえないんですが、当院が今それをやると多くの医療難民を出してしまいます。結局当院は赤十字であるということが1つの特徴なんです。

 利潤を求める病院ではないというのは当然ですが、この地域で唯一の総合病院として、市民から必要とされている役割を果たすことが最も重要なことです。

―市からの援助もありますか。

 当院は今、古い建物を壊している最中ですが、現在の建物が建っている部分の一部は、隣にある市民会館の駐車場でした。

 本当はもっと土地の安い場所に移転する計画もあったんですよ。更地に一度に全部作った方が、工事は早いし、簡単だし、費用も安いんです。

 ですが今、当院がこの場所から動けば、市の中心部が空洞化してしまいます。そういうことで、市も市民も動いてほしくなかったんです。交通の便も良いし、病院に出てきたついでに買い物も出来ます。それで市から、土地を提供してもらったわけです。

 そういう経緯で、病院は段階的に建て増し、一番新しい部分は半年前に完成しました。

 新しい病院では救急の機能を強化し、半日で10 台近く来る日も増えています。ウォークインも多いですから、救急外来を従来の3倍ほどの大きさにしました。

 手術室も1室増やし、今4室です。外科医師の確保は重要ですから、近代的な最新式の広さと装備にしました。そしてHCUですね。背景ユニットを手術室の横に4床で作りました。以前、麻酔科医が0になったことがありまして、とても大変でした。今麻酔科には常勤が3人います。手術とHCUを麻酔科が診てくれますので、とてもありがたいですね。

 あとは、とても素晴らしい療養病棟を作りました。お年寄りが気持ちよく過ごせる、優しい感じです。色合いはみんなで考えました。事務部長が色を決めた廊下もありますよ。
(「とにかく療養病棟は明るくて、陽射しが十分に入ります」と中本淳事務部長)

 療養病棟やリハビリは、気持ちのいい場所にしないといけないということで、どちらも最高の場所を使っていますね。

―経歴を見ると、院長はこの病院に戻ってきたんですね。

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旧病院は今も解体工事中。新しい病院(右側部分)に合わせ、病棟部分は色を塗りなおしている。(10月29日撮影)

 広島大学を卒業後、縁あって当院に来たんですが、当初は1年で帰るはずだったんです。なぜかそのまま8年いました。それからまた広島の大学院に行きまして、修了して、どうしようかなと思っていましたら、当院の7代目にあたる迫勝博院長に「戻っておいで」と言われたんです。

 2度断ったのですが、3度目に教室の梶山梧朗教授が「三顧の礼なんだから断っちゃいかん」と言われ、迫院長の下で内科部長として勤めました。迫先生は昭和38年から平成6年まで院長を務められました。同じ第一内科の出身で、可愛がっていただきましたよ。

 九代目の院長は、石田先生(本紙第1号に特集記事)の前に広島赤十字・原爆病院の院長をされていた土肥博雄先生です。平成17年度に1年間だけ兼務されていました。今は中国四国ブロックの血液センター長ですね。今も県支部でたびたび会いますが、恩人の一人です。

 私は当時副院長だったのですが、土肥先生に何とか口説いてくれと頼まれまして、10代目の院長中西敏夫先生を庄原に招待しました。中西先生は中学高校の先輩で、大学の医局も同じなんです。その中西先生がお辞めになり、私が11代目の院長です。

 私が院長になって運が良かったことがいくつかあるんですが、そのうちの1つは、中本事務部長がいたことです。私は副院長を3年しかやっていません。病院運営の勉強をしなければいけないなと思っていたら、中西院長がお辞めになり、いきなり院長になりました。平成20年の11月に決まって、1月から院長だったんです。

―事務長はいつから。

(「私が当院に入ったのは6年前です。それまでは庄原市の職員でした。庄原市にとって医療問題というのは、非常に大きな柱です。行政では財政的な支援を含め、さまざまな支援を当院にすることについて、ほとんど異論が出ません。そういう関係が今までに出来ていました」と中本事務部長)

 中本事務部長には病院から是非にとお願いして、来ていただきました。当院にとって市行政との関係、地域との関係は最も大事なことの1つです。

 病院の事務長という立場になる人は、病院も見るけれども、市のことが分かって、地域のことが分かって、そして市民病院的な位置付けの病院がどういう方向性を見出していけないいか、ということが分かる人ではないといけません。医療に詳しい方や医事・病院経営に詳しいというだけの方では、この地域の病院の事務部長は務まらないと思います。

―医師集めはどうですか。

 最近、迫先生の苦労が良く分かるようになってきました。

 当院は現在、広島大学と岡山大学と島根大学の関連病院です。

 麻酔科は島根から、外科は岡山大学の第一外科から来てもらっています。松江自動車道(三次市から松江市にいたる高速道路)が今年全面開通し、島根との行き来が楽になりました。

 医局は今35人ですが、3つの大学が入っていることが逆に、仲がいい理由かも知れません。大学や医局の壁がまったく感じられないんです。いろいろな診療科が一緒になって、合同のカンファレンスをよくやっています。医師同士の連携が特にとれている病院だと思いますよ。


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