就職難の時代である。大学生は3年生になると就職先を考え始める。大学に入って一番自由に過ごせるはずの3年、4年生の時にエントリシートを何十枚も送付し、就職先訪問をし、就職試験を受ける。首尾よく内定をもらえば幸運だが、なかなか厳しい。
笠原嘉がスチューデントアパシー(退去神経症)を提唱してから約40年。1968年に流行語としてあげられた5月病(主として大学の新入生に一過性としてみられる虚脱感や無気力感・よくうつ感不安などをさす=黒木2009)も6月病や11月病にまで拡散し、不況による就職難から、3年生4年生でうつ病になる学生も増加してきている。
新入社員はどうだろうか。希望に満ちて入社したものの、理想と現実のギャップに悩んでいないだろうか。今ごろはリアリティ・ショックを受けているころである。
私が企業のコンサルタントをしていた時のことである。5月末に人事部長から「女性の新入社員の様子がおかしい、すぐにきてほしい」と連絡が入った。他の予定をキャンセルして会社に出向くと人事部長が神妙な面持ちで待っていた。
「入社試験は優秀だったので、研修のあと仕事を任せたが、5月の中旬から仕事がはかどらず、時々、泣いている。事情を聞いてもうつむいて何も答えない。どう対処していいか分らないので連絡した」とのことだった。
本人に面接してみると、「第一希望の会社に入社できたので仕事を楽しみにしていたが、GW明けからやる気が起きない」と言う。あまり眠れず、食欲もだんだん無くなった。初めての一人暮らしで家事もうまくできない。仕事が進まず残業も多くなり、上司に叱られることも増え、自分がいやになったと話してくれた。
「『消えてしまいたい』と思うような事はあるの?」とたずねると、涙を流しながらうなずいた。
医療的治療が必要だと判断し、本人もそれを承諾したので、メンタルクリニックを受診する必要があると部長に話し、念のため課長に同行してもらった。
クリニックの診断名は「うつ病の疑い」であり、休養が必要だとされた。しかし本人は休みたくないと主張した。ここで休めば退職に追い込まれると恐れているのである。
「休みたいけど休めない」という葛藤を抱えての強い主張だった。
部長・課長・係長と私で、どう対処するかを相談し、①定期的に医師の診察を受ける②仕事の量を減らす③週に1回カウンセリングを受ける④本人の了解を得て課員全員に病状を話す⑤一人にはせず、できるだけ話を聴く⑥保護者にもサポートしてもらうと決めた。本人には部長から話してもらい、「仕事を続けながら様子を見るが、病状が改善しなければ休職もありえる」ことも伝えてもらった。
しかし実際にはスタッフ(課員6名)が、彼女をどう理解するかが大きなポイントになる。部長の依頼で私はスタッフに、彼女の病状とサポートの仕方について話した。
スタッフからは、彼女のことは心配だがどう対応すればよいのかわからないこと、他のスタッフの仕事量が増えることなどいろんな意見が出たが、一応理解は示してくれた。
それから毎週1回カウンセリングを行なう中で、「自分の能力では今の職務はこなせないという不安がある」、「家庭背景が複雑で、自分が経済的に支えていく必要がある」など自分について語るようになってくれた。
薬物療法で睡眠はとれるようになったが、自己効力感の低下、集中力の低下はなかなか回復しなかった。結局医師と相談の上、9月から休職することになった。その際、実家に帰って通院しながらしっかり休養することや、定期的に会社から連絡をすることなど、休職後のサポートについて部長と母親に話をした。
休職後も私はカウンセリングしながら、このままの状態で働き続けると命を縮めること、生きていればやる気が戻り、自分に合った新しい道を探せることなどを話し合った。彼女は1月から職場に復帰し、最終的には退職をすることになった。
現在、会社員のメンタルヘルスは悪化の傾向をたどっている。本ケースのように職場に恵まれても退職せざるを得ないこともある。彼女は別の道を選び、元気に過ごしていると数年後に風の便りに聞いた。大切なことは、できる限りのサポートをすること、たとえ休職・退職になっても生きていることである。
筆者註:本エッセイの事例はプライバシー保護のため、本質を変えないように修正していることをご了解ください。_ (臨床心理士)