熊本赤十字病院 副院長 救命救急センター長 集中治療部長 井 清司
今月は多くの災害拠点病院を回った。災害の担当者に熊本赤十字病院に行ったと述べると「あそこは日赤災害医療の総本山みたいなものだね」と言われ、改めて精力的な取り組みが業界内に伝わっていることを感じた。事実、特殊装備を備えているだけでなく、病院自体も堅固で、大型の受水槽や井水ポンプなど、有事の際は大量の疾病者を受け入れる体制がある。日本赤十字社発祥の地熊本で、井副院長に災害救護・医療への取り組みを聞いた。
赤十字の活動と熊本
1864年スイスで赤十字が成立した当初は戦争で傷ついた兵士を敵味方なく救護することを目的にしていました。以後、ジュネーブ条約に基づき各国で赤十字社が成立しました。日本では明治十年、西南戦争田原坂の激戦で、敵味方なく将兵を治療した佐野常民が、博愛社を設立することを上申し、許可されて日本赤十字社の前身となりました。このように熊本は、日本赤十字社の発症の地という歴史背景があります。その後、日本赤十字社は、明治21年の福島県会津磐梯山の噴火の災害に際して救護活動を行いました。これが世界でも初めて自然災害に出動した事例となり、以後各国の赤十字社も自然災害にも積極的に活動することになりました。
災害救護用の資器材
様々な災害救護を経験した赤十字は、救護活動に必要な機器や資材、人材の教育などに力を注いできました。
近年機材の面ではERU(Emergency ResponseUnit)という大規模で災害に即応できるシステム(通信発電設備 浄水設備 ロジスティクス、病院・診療所などを含む)が、国際赤十字赤新月社連盟を中心に開発され、世界各地の大規模災害に派遣・展開されています。
国内ではERUを小型化したd(Domestic)ERUが30都道府県に配備されています。ただし、熊本ではフルスケールのERUを保持しているだけでなく、沖縄サミットや洞爺湖サミットにも派遣した、ディザスターカーを始め大型車両も整備しています。
救護要員の教育と熊本の体制
災害救護に携わる要員の研修や教育は、近年、救急医療や災害医療の標準化が整備され、JPTEC、JATECなどの外傷初期診療コース、MIMMSやMCLSなどの災害現場管理などを取り入れた研修を行っています。近年、名前が知られるようになったDMATも、このような標準化コースを取り入れた訓練を行っています。
熊本では、災害拠点病院13を含めた公的病院39の施設の救護班要員に対して、1987年以降、毎年、このような研修会を開催しており、すでに1500名以上の県内の医療職員が受講しています。また、このような研修を受けた方たちは、近隣で局地災害が起きた場合は、日赤救護班として現地で活動してもらいますが、その費用については日赤熊本県支部が支弁する規定です。
また現在では、DMATと日赤救護班は互いにその役割を理解し、協力して災害対応することになっています。また熊本では、災害医療コーディネーターも指定され、災害時の医療調整を行うことになっています。
阪神大震災と東日本大震災での活動
熊本赤十字病院は、災害時の搬送などを想定し、2つのヘリポートを持つ。また、災害に関する取り決めはないが、ドクターヘリの基地病院でもある。写真はドクターヘリパイロットの松本繁明さん(左)と、整備士の上野和隆さん。
1995年の阪神大震災には約70名の病院職員が派遣され、その救護を経験したスタッフたちが中心となり現在の当院の体制を作ってきました。その後、少しずつ、資材、人材、教育研修を整備し充実させてきたわけですが、2011年の東日本大震災では、当院の持てる力を総動員し、宮城県石巻市に派遣され救護活動を行いました。延べ29班230名余りが現地へ派遣され救護にあたりました。これは、当院の職員の約4分の1が派遣されたことになります。当院はまた、海外の災害についても職員を多数派遣しています。
阪神大震災を経験した世代がその後の当院の災害対応を整備してきように、東日本大震災や海外の災害地を経験したスタッフが中心となり、今後の当院の、熊本の、また九州や日本全体の災害対応を考えていってくれると思います。
意欲あるスタッフ、豊富な経験、充分な資機材・車両などは、日本赤十字社の財産です。