精神科診断の宿命"患者と同じ高さ、同じ言葉遣いで" 北海道大学 山下 格 名誉教授
元北海道大学の山下でございます。私はごく普通の臨床精神科医でありまして患者の診断にはいつも悩んでいました。それは結局は精神科診断の宿命によるものと言えます。本日はその悩みにまつわるお話をさせていただきたいと思います。
昔話になりますが、私が精神科の研修を始めた1965年頃には進行麻痺の症例がたくさん見られました。外来では通常の診察とともに瞳孔の対光反射や特有なつまずき言葉などを検査し、疑わしいときは腰椎穿刺をして細胞数やノンネ・アッペルト反応を調べ、最後はワッセルマン反応を施行しました。
臨床症状が複雑で鑑別診断が難しいときにも特定の身体的検査所見によって診断を確定することが出来たのです。その際には、自覚・他覚症状の検討から必要に応じて物理・化学的検査を行い、最後は感染という原因を確かめて最終診断をしたことになります。当然ながらそれが通常の医学的診断方法、いわゆるメディカル・モデルであり、それを精神科診断にも広く適用することは長年の目標でもあり理想でもありました。
精神科の歴史の中でこの目標を目指して多くの努力が重ねられ、実際に身体的要因が明瞭な場合にはそれが相当程度まで可能になりました。
例えばアルツハイマー病型認知症は20世紀初めに脳病理所見が報告され、やがて詳しい病理過程とともに臨床場面でもMRIによって特に前頭・側頭葉に顕著な脳全体のびまん性萎縮が確かめられるようになりました。したがって脳画像撮影という物理的検査によって精神内科の医師でもアルツハイマー病型認知症の診断をすることが可能になりました。
しかし、私たち精神科医の診断は画像所見のみで終わるわけではありません。当然ながら認知症が疑われる本人に会い、家族からも詳しく話を聞き、記憶障害の程度や失語・失認などの有無のほか感情、意欲、行動、最近の生活状況や元来の性格、いわゆる周辺症状(BPSD)の様相、その他さまざまな諸事情を確かめます。各種の心理検査ももちろん参考に致します。
つまり精神科医はMRIのような物理的方法によるメディカル・モデル的手法とともに、患者の気持ちや思いや人柄まで対象に含めて診断に努めます。すなわち格好良く言うと1人の人間としてアルツハイマー病を持つ1人の人間を診断をしているわけであります。
統合失調症についても近年科学技術の発展による膨大な研究成果は、昔の人間の私には夢のようとしか申しようがありません。それには遺伝子や各種受容体機能などの諸報告のほかに比較的身近な所見もあります。例えばMRIによる脳室の軽度拡大、眼球運動や事象関連電位の変化などです。その結果、統合失調症に脳病変の存在が確かめられ、狭義の心因論は否定されました。
しかし、これらの検査所見はいずれも症例群における統計学的に有意な変化であり、患者個人の診断にすぐ役立つ段階には至っておりません。従って実際の診断は先に申し上げたメディカル・モデルではなく心理・行動現象の詳細な検討を元に行われています。それは現在進行中のDSM-Vの作成にも引き継がれつつあります。
一方で、統合失調症の妄想・幻覚などにドパミン受容体を抑制する抗精神病薬が一定程度有効なことからも、その脳病変の少なくとも一部は機能的な変化であることが推定されます。神経伝達物質のドパミンはセロトニン、ノルアドレナリンなどと同じく、感情刺激を含むストレスによって敏感に変化します。そのドパミンの代謝と関連が深いことからも統合失調症が認知症の周辺症状以上に心理的ストレスによって病状の変化をきたしやすいことが知られています。患者の気持ちを傷つけるような家族の表出感情が症状の再発をきたす頻度が高いことは、統計学的にも裏付けられた所見です。従って診断には心理的ストレスや環境面の影響の検討がより一層重要になります。
ここで医学部の学生あるいは精神科の研修を始めようとする方にお聞きいただきたいと思います。最初に最も手近で、しかも最も必要なことはより良い診察のあり方を心掛けることかと思います。ただ「憂うつですか」という質問に「はい」と答える場合と自分から、あるいは「どうなさったのですか」という質問にためらいながら「憂うつで・・・なぜか気持ちが沈んで」と話し出すときとでは、得られる情報とその後の会話のつながりが全く違います。患者が語り始めるとそれに伴い表情もあらわれ、感情も動いて気落ちも伝わってきます。従って最初の挨拶がすむと自然に患者中心の話し合いが始まりなるべく滑らかに実りの多い面接が続くように計らうことが精神科診察の最初の心得だと言えます。
精神科医が1人の人間として患者というもう1人の人間を診るとき人間のからだの変化の物理・化学的検査をするときとは違って、患者と同じ高さで顔を見合わせ、同じ言葉遣いで話し合うことが求められます。