「必笑」を合言葉に地域に求められる医療を
2015年、鹿児島市田上で黒木外科胃腸科病院を継承し「くさの記念病院」を開院した草野力理事長・院長の病院づくりにかける思いを聞いた。
―一昨年秋、くさの記念病院となりました。現状はいかがですか。
この病院の診療科目は内科、外科、胃腸内科、消化器外科、肛門外科、麻酔科です。開院から1年余りになりますが、中小病院の経営の厳しさを痛感しているところです。
まず、古い病院だったので改修工事をする必要がありました。また、M&A(合併・買収)がスムーズにいかず、以前働いていた職員が全員辞めてしまったために、昨年5月から2カ月間病棟を閉鎖。患者さんには転院していただかなければなりませんでした。
人材確保にも苦労しました。看護師の採用については仲介業者を使わざるを得ず、コストがかさんで経営をかなり圧迫しました。そのため病棟再開にあたっては患者さんを集めることから始めるという、まさに「ゼロからの出発」でした。しかし、若い職員たちが入ってきてくれたことで、明るく活気あふれる雰囲気の病院になったのではないかと思います。
―鹿児島大学とのつながりも強いそうですね。
2015年10月から始めた腹腔鏡手術では、鹿児島大学病院で使われているものと同じ先進医療機器を導入しました。胃がんや大腸がんの手術の際には鹿児島大学・消化器腫瘍学講座の専門医が応援に来てくれますし、毎週土曜日の午前9時から正午までは内視鏡や特別外来診察も担当してもらっています。
もともと大腸の内視鏡検査を予約制でやっていたのですが、昨年6月からは午前10時までに受け付けをすれば予約なしで検査が受けられるようにしました。胃カメラは当日でも受け付けています。病院を引き継いだ当初、いったん患者さんは減りましたが徐々に持ち直している状況です。
―医師になった理由は。
医師を目指したことに大きな理由はありません。兄が医学部に進学したことに少し影響されたのかもしれません。
体力には自信があったので外科を選びました。当時、鹿児島大学医学部の外科学講座は第一外科、第二外科に分かれていて、私は第一外科で西満生教授の指導を受けました。その後、島津久明教授、愛甲孝教授の指導を受けました。西教授をはじめ、いずれの先生も胃がん治療において高名な外科医で多くの全国学会を主催されました。西教授によく言われていたのは「今の自分に何ができるのかを考えて、できることをやれ」ということ。要は「ベストを尽くせ」ということです。
研修医のころはとにかく過酷な日々でした。病棟管理をしなければならないので、病棟が忙しいとアルバイトにも行けず、お金もなかったですね。今は研修医に対する指導に力を入れている病院が多いようですが、当時は技術も知識も「見て盗め」という考え方が主流でしたので、自主的に勉強するしかありませんでした。
大学では食道がんの臨床研究と基礎研究をやっていました。当時の食道がん治療は予後が悪く合併症も多かったので、一生懸命手を尽くしても凄惨(せいさん)な経過をたどる患者さんを数多く見てきました。呼吸も循環も様子をみながらICU(集中治療室)の管理などもしていましたし、外科医の仕事は幅広かったですね。
今の若い医療者に伝えたいことは「ものの道理に従ってやる」ということです。土を耕して、種をまいて、維持管理をして、やっと果実は実ります。その過程を端折って、一足飛びに果実だけを得ることはできません。これは自分自身にも言い聞かせていることですが、努力を惜しまずベストを尽くしてほしいと思います。
―どのような病院を目指していらっしゃいますか。
高齢者が多い地域でもありますし、今後は地域の皆さんに求められる医療を提供できる病院でありたいですね。自分がしてもらいたいと思う医療を患者さんにも提供したい。現在は消化器疾患が中心ですが、外科的な症例だけではなく誤嚥(ごえん)性肺炎や嚥下(えんげ)障害など高齢の患者さんにも対応しています。内科的な症例まで含めて「なんでも診ますよ」というスタンスで診療していきたいと考えています。
また、患者さんが受診しやすい雰囲気づくりのために、当院では「必笑(ひっしょう)」を合言葉にして常に笑顔で仕事をするように心がけています。つらいこと、悲しいこと、腹の立つことがあっても、口角を上げて笑顔をつくれば、自然と気持ちも前向きになるものです。笑顔を向けられた相手も嫌な気持ちはしないでしょう。小さなことかもしれませんが、こうした取り組みも大切にしながら、患者さんに気軽に受診してもらえる病院を目指していきたいと思います。