第26回 日本看護学校協議会学会
福岡市中央区のアクロス福岡で8月7日と8日、第26回日本看護学校協議会学会が開催された。主催は一般社団法人日本看護学校協議会。後援は日本医師会、日本看護協会、福岡県医師会、福岡県看護協会、九州経済連合会。2日間で延べ647人が参加した。
今学会のメインテーマは「アジア諸国と日本との架け橋―看護の将来を担う人材の育成」。開催地の福岡がアジアの玄関口であることからこのテーマを設定した。
開会あいさつで荒川眞知子学会長は「国際化が進む中で日本の看護師が知識と技術を活用し、海外で保健医療活動を実践することが期待されている。質の高い看護は日本に暮らす外国人を含めたすべての人に対して行なわれなければならない。人々の健康と生活に深く根差した日本文化の理解が看護師にとっては重要だ」と述べ、「看護の本質は命を守り、育むこと。それは人間愛に支えられた行為で万国共通。国籍を超えて互いに協力し合う事が必要」とも語った。
開会式後、4人のシンポジストの講演が行なわれた。座長は横浜実践看護専門学校の山川美喜子校長。「国内外で活躍するために何を求められているか、参加者と考えたい」と述べた。
最初のシンポジスト、台湾の崇仁医護管理専科学校の洪玉珠校長は「台湾の看護師教育の立場から」をテーマに講演した。日本と関係ができたきっかけや、美和科技大学看護部の学生が福岡の老人健康保険施設に実習に来ている経緯と効果、今学会のメインテーマについての自らの考えなどについて語った。
2人目は国立病院機構長崎医療センター看護師のエレン・ムティアラ・インダ・マヌルンさん。インドネシアからEPAナースとして2010年に来日して長崎医療センターに看護助手として勤め、昨年看護国家試験に合格した。来日したきっかけ、言語や生活環境の違いから困ったこと、その克服法、日本の医療、看護教育についての感想などを述べた。
3人目に地域医療振興協会医療人材部の中出みち代次長が「韓国看護師の支援を行なって」と題し、同医療振興会の紹介と韓国看護師支援の経緯について語り、「韓国人看護師が日本の国家試験を受けて就職する時に最も大きな壁となるのが語学力。せっかく試験に合格しても就職せずに帰国する人もいる。支援体制を整えることが今後の課題だ」とした。
さらに前相模原看護専門学校の増山利華専任教員は演題「アジア諸国の一つである日本の看護を考える―バングラデシュでの経験から」で、青年海外協力隊看護師隊員としてバングラデシュに派遣された経験をもとに同国での看護の現状と今後の課題について語った。
シンポジウム終了後、山川座長から洪校長に、「台湾から日本に実習に来た学生は、言葉の壁をどう乗り越えているのか」と質問。洪氏は、「言葉の壁は高いが、台湾人は漢字でコミュニケーションを取れる。拙いなりに必死で自分の言いたいことを伝えようと努力することが重要だ」と話した。
エレン・ムティアラ・インダ・マヌルンさんに会場から「日本食は口に合いますか。インドネシアの料理が恋しいですか」と質問があり、「日本食に慣れるのは大変。自分でインドネシア料理を作り、食材がなければインターネットで購入している。今は日本食を好きになる努力をしています」と答えた。
2日目は姜尚中聖学院大学学長の特別講演「いのちの生き方、活かし方」があった(上の枠内に記載)。
特別講演後の閉会式で荒川学会長は「日本の看護の良さを生かし、アジアの人たちと手を組んで歩んでいきたい」と話した。運営委員長を務める百瀬栄美子常任理事は「この学会を通じて、人の和こそが物事を成し遂げる原動力だと感じた。看護師は国の財産、財産の教育に携わるのが当協議会なので、絶やすことなく今後も活動を続けていく」と決意を語った。
「今は社会の潮目が変わる過渡期」― 特別講演で姜尚中氏
姜氏は日本の現状について「団塊の世代は明日を信じて生きられたが、今の若者はそれを感じることができない。現代の日本は、高度成長期、バブル期と世界的に見ても空前絶後の時代を経験し、それを基準としている。実態に即した生き方、考え方があるはずだが、無理に高度成長期を尺度にすると必ずしわ寄せがくる」、「社会は60年から70年で潮目が変わると言われている。今は過渡期だと言えるかもしれない」と語り、「日本社会でも階層化、世襲化が進んでいる。生活保護世帯の子供のうちの27%は大人になってからも生活保護世帯にならざるを得ないし、東大入学者の保護者の平均年収は1千万円以上。子供の人生はどの家に生まれるかで変わってくる」とも述べた。また医師、看護師や教師などを聖職と呼ぶのは誤りだと語り、「何の欠点もない人はいない。他の職業と同様に職をまっとうする人だ。そう思うようになったのは小学校の時、校長先生が酔っ払い、電柱に立小便をするのを見たことがきっかけだ」と会場を沸かせた。