心が疲れて、病んだ時、気軽にきてもらえる病院に
今宿病院(福岡市西区)の深堀元文院長は、精神科医で小説家。福岡市西区今宿で経営する精神科病院で患者に向き合いながら、ミステリー小説の執筆を通して、精神疾患に偏見を持つ社会に問題を投げかけている。
―なぜ精神科医に。
もともと、推理小説が好きな子どもでした。アメリカやイギリスの推理小説には、精神科医が主人公として登場するものがあるんですね。葉巻をくゆらせながら、犯人をあばきだす。その姿に、憧れのようなものがありました。
文学部とも迷いましたが、結局、鹿児島大学の医学部に進み、その後、九州大学の精神科に入局しました。
―転機は。
妻が、たまたま田川市(福岡県)にある見立病院という精神科病院の経営者の娘で、卒後5〜6年のころ、「常勤で来てくれ」と言われたのが1つ目の転機でした。
当時、九大精神科の教授だった田代信維教授にお願いし、病院長として見立病院に赴任したのですが、全360床がほぼ満床で、医師も少なく、診きれない状況。日々、自分自身がうつ状態でしたね。入院の患者さんだけで精一杯、外来はほぼゼロ。当然、赤字でした。
当初は1年で大学に戻るつもりだったのですが、すぐに「このまま放り出して帰ることはできない」と思うようになりました。
2年目も、週に2回、九州大学に行って研究をする形で田川に残り、医師集めに奔走するうちに、人のつながりができ、病院も軌道に乗り、帰る気も薄れ、結局、見立病院に10年いました。
もうひとつの転機は、義父から、独立を勧められて開業したことでしょう。それがなければ、今も田川にいたと思います。
―作家としても活動されていますね。
見立病院時代、「重度痴呆病棟」を県内で2番目に開設しました。現在で言う認知症の患者さんが数多く集まってこられましたが、当時はまだ今ほど認知症について知られていなかった時代。医師も看護師も本当に苦労していました。
そこで、その病棟で目の当たりにした様子を元に小説を書き、福岡放送2時間ドラマストーリー募集に応募したのです。するとありがたいことに大賞受賞。その後、2時間ドラマ「あゝ重度痴呆病棟」が全国ネットでも放映されました。それをきっかけに、「本来書きたかったのはミステリーだ」と本格的に書くようになるわけです。
書くことは書くことで、ストレスでもあるのですが、自分で話をつくり、登場人物たちを思うがままに動かせる「万能感」というのでしょうか、それはおもしろいですね。
ただ、私の小説は日常の診療なくしてはありえません。例えば2012年に出版した「スティグマ」は、統合失調症への偏見を題材にしたミステリーです。
統合失調症は怖い、とよく言われますが、知らないから怖いというのが実際だと思いますね。統合失調症の人はデリケートすぎて、世間を窮屈に生きているだけ。ですから小説を通じて偏見を少しでも解消できればという思いもあります。
―今後の病院像と、目標は。
心が疲れて病んだ時、気軽に入ってもらえる病院でありたいとずっと思ってきました。現在も小中学生から90、100歳まで、幅広い方に、気楽にきてもらえる病院だと思っていますし、これからもそれが希望です。
夢は、オランダなどにあるような「認知症の街」をつくること。美容院もレストランもあり、美容師兼ソーシャルワーカー、ウエイター兼ソーシャルワーカーといった人が見守って、認知症の人が門外に出ていこうとすればやんわりと止めてくれる、そんな場所です。
認知症には徘徊(はいかい)や幻覚などのBPSDがあり、完全に地域・家庭でみるのはなかなか難しいのが現状です。こういう認知症の街ができれば、家族が安心して預けられるのではないでしょうか。そんなことを、今、考えています。