宇部興産㈱中央病院(福本陽平院長=山口県宇部市)は10月1日より医療法人化し、医療法人社団宇部興産中央病院に名称変更する。
同院は昭和28年に宇部興産㈱(本社=東京都港区)によって開設された宇部興産サナトリウムが前身で、結核治療を主として行なう施設だった。昭和41年に現在の名称に改称し、昭和56年より総合病院の承認を取得。宇部市は市立病院を持たないため、市民病院としての役割を担い、年間2千100台以上の救急車を受け入れている。特に山口県下で初めて脳神経外科を設置した病院で、脳卒中や脳腫瘍の治療に力を入れている。診療科は現在19科を標榜し、総病床数は406床。平成21年よりDPC対象病院。
宇部興産㈱は日本を代表する総合化学メーカーで、医薬品事業部も持つ。宇部興産中央病院は現在、その企業立病院だ。同社では2年ほど前から、病院事業を独立させようという動きがあった。
企業立病院は巨大な資本や、多彩な部門の人員を活用できるが、決定が遅い側面があり、日本鋼管福山病院や製鉄記念八幡病院、住友別子病院と、中四国・九州にも医療法人として独立した元企業立病院は、少数ながら存在する。公的な資金の援助を受けることや、地域医療支援病院などに認定されることは困難で、サテライトクリニックを設置できないなどの制約もある。
「医療法人化しても病院の方針や診療内容、治療形態は変わりません。市民や連携する医療機関の中には、企業立でなくなることを不安に思う方もあるでしょうから、個人的には変わるとあまり言いたくはありません。ですから、大々的な式典をする予定もないんです」
企業城下町である市内で、宇部興産㈱の影響は大きい。後ろ盾を失ったと見られることを懸念し、特別大きな変更がないことを福本院長は強調する。「ずっと黒字経営で、経営悪化のために会社が手を引いたわけではありません。激変する医療情勢に即応できるメリットが、将来的にはデメリットよりも大きくなると判断しました」
実態は宇部興産㈱が100%出資で、持分なしの法人。医療職を含む全職種も全員が従来通り宇部興産㈱の社員で、出向という形を取る。
理事長は福本院長が兼任するが、理事には宇部興産㈱の常務執行役員から泉原雅人CFO(最高財務責任者)と久保田隆昌常務の2人の取締役が就任する。ほかに理事には、病院事務の責任者である玉田英生企画管理部長と外科を診る福田進太郎副院長がなる。また理事5人に加え、森谷浩四郎副院長と監査の2人が社員になる。10月1日には、第1回の理事会が開催される予定。
「病院の法人化は特に、事務部の精力的な働きがあって実現します。行政機関に出す書類も、取引先との再契約の書類も膨大で、医療をずっとやってきた我々に、そのような手続きはできません。普段の診療に何の支障もなく、移行の段取りが終わりました。非常に感謝しております」と院長は言う。
福本院長は山口大学医学部医学科の同窓会長だったが、今年から山口大学の同窓会長。同大は来年創基200周年を迎えるため、様々な記念事業の準備でも多忙。「今年は私にとって特に忙しいも歴史的な節目ですから、関わることを喜びたいと思います」
企業立病院ではなくなるため、院名から「宇部興産」を外すことも検討されたが、他の元企業立病院にならい残した。
「正式名称は変わりますが、略称は変わらず宇部興産中央病院です。市民に愛されている名前を変えず、バス停名などの変更申請もせずに済みました。私は肩書が増えますが、しばらく名刺はこのまま使えそうです。あいさつ回りが多く、先月大量に刷ったばかりなんですよ」と院長は笑った。