鳥栖の八起アイス

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稗田 尚 Hieda Hisashi

名物にうまいものなし、と山形の友人は言う。山形といえばだだちゃ豆が思い浮かぶが、たしかに地名を冠につけた○○饅頭、○○煎餅、○○最中は大抵そうかもしれない。しかしその言葉は九州の人に限っては失礼だ。九州の名物でうまくないものは探す方がむつかしい。

私にとって鳥栖の名物といえば八起(やおき)アイスキャンデー。昭和二十年の初めに作られ始め、小さいころ鳥栖駅近くの店で買ってガリガリ食べた思い出がある。

つい先ごろ「めんたいワイド」で紹介されたので見たことのある人も多いと思うが、八起アイスは最初から、あずき、ミルク、チョコ、クリームなど四種類の味があった。それは考案者が食堂を経営していて、それで味への関心が強かったようだ。今は名前の通り八種類、一年中販売されているが、当初は運動会の行なわれる秋まで売られていた。私にとっては佐賀の味というよりも鳥栖の味だが、名物というものは案外、生活の記憶の中に鎮座していることが条件の一つのように思う。

そういえば八起アイスが登場した昭和二十年代、鳥栖駅からそう遠くないところに、割とがっしりした造りの納屋があり、そこに「BAR納屋」の小さな看板を吊って住んでいる老人がいた。彼は中学生の時に敗戦で台南から引き揚げてきた人で、バーは住み着く口実のようなものだったから、その所在は近所の人しか知らなかったようだ。

私は小学生のころ、そこよりずっと南の集落に、両親と二人の弟、そして祖父母と暮らしており、友だちの家に遊びに行って何度かそこらに迷い込んだことがある。でもそのとき右手に八起アイスがあったかどうかは覚えていない。

還暦が目前の今だから自白するが、私は成人する一年か二年前にその納屋で酒を覚えた。たまに仕事帰りに立ち寄り、大人ぶった自分を楽しんだ。醤油樽を二つ並べた上に板を渡してカウンターにし、トランジスタラジオが鳴っているだけだったが、老人の口から台南一中時代の思い出や、台湾沖航空戦を地上から見上げていた時の気持ちを、言葉少なではあるが生々しく教えてくれた。しかしその老人の名前を思い出そうとしても、記憶の底に沈殿してしまい、どうしても浮かび上がってこない。

やがて私は関西に職を求めて上阪し、今また九州に戻ってきた。そしてあのあたりがどうなっているか確認しに行った。でも三十年をゆうに超える歳月の流れはほのかな記憶以外のすべてを変え、押し流した。どれほど歩き回っても、記憶にある辻一つ見つけられなかった。そして口にした八起アイスは、ほんのわずか、老いにさしかかった私を少年の心に戻してくれた。

やはり名物はうまいものである。懐かしい生活がほんのりと包み込んであることが名物の証しだ。

私は今も、酒を飲むたびにあの黒っぽい納屋を思い出す。酒はいつも納屋とともにある。まるで、どこで味噌汁を飲んでも母親を想い出さないことはないのと同じに。

※ネットで「BAR納屋界隈」を検索すると縦書き小説が出てきます。ただし都合上、鳥栖以外の場所に設定してあります。


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