長崎大学病院 病院長 増﨑 英明
福澤諭吉の著作を読むうち『養生の心得』なる一編にたどり着いた。福澤は故郷の中津を出ると長崎へ遊学し、さらに大阪の緒方洪庵の適塾に寄宿したが、そこで学んだものは医学ではない。
福澤諭吉の著作を読むうち『養生の心得』なる一編にたどり着いた。福澤は故郷の中津を出ると長崎へ遊学し、さらに大阪の緒方洪庵の適塾に寄宿したが、そこで学んだものは医学ではない。
日本が鎖国から解放され、それまでの日本人の価値観が、西洋から流入した哲学によって危機に瀕したとき、新しい日本語(口語体)で古い日本人の魂を伝えたのは、ドイツ帰りの森鷗外とイギリス帰りの夏目漱石の二人であった。だが家庭人としての二人には別の顔つきがあった。妻があり、子をなした。