産業医科大学医学部第一内科学講座 田中 良哉 教授
国内の関節リウマチの患者はおよそ70万人。「不治の病」は今、「コントロールできる病気」になった。この分野で世界をリードする産業医科大学医学部第一内科学講座の田中良哉教授は「治癒も見えてきた」と語る。
国内の関節リウマチの患者はおよそ70万人。「不治の病」は今、「コントロールできる病気」になった。この分野で世界をリードする産業医科大学医学部第一内科学講座の田中良哉教授は「治癒も見えてきた」と語る。
開院から37年、地域に密着した大学病院として県内の医療を支えてきた高知大学医学部附属病院。4月1日付けで就任した執印太郎病院長に、病院の取り組みと、これからの大学病院のあり方を聞いた。
患者の期待に、私はどう応えていくべきか」。東千夏講師が専門として選んだのは「関節リウマチ」の領域。沖縄の診療体制の充実に向けて奮闘中だ。
「皮膚を小さく切開することだけが最小侵襲手術ではない」と語る松山幸弘病院長。整形外科学講座の教授と病院長職と二足のわらじで多忙な日々を送る中でも、常に「何が患者のためになるのか」を第一に考えている。
設立は1872(明治5)年、日本で最も古い医科大学の一つである京都府立医科大学。京都初の本格的近代病院・医学校として発展する過程で、整形外科学教室は約70年前に開設された。久保俊一教授は第5代教授として17年目を迎えた。
40年近く、地元宮崎でリウマチ専門医として地域医療を支える税所幸一郎・都城医療センター副院長。患者の意志尊重と負担軽減を最優先し、信頼される医療の実現を目指している。
高齢になるほど神経が通る脊柱管の変形によって圧迫を起こす「脊柱管狭窄症」や、腰が前かがみに曲がってしまう「腰椎後弯症」などを発症しやすくなります。団塊の世代がまさに「かかりやすい年齢」に入っていますから、少なくともこれから先の十数年、手術を希望される方が増えていくでしょう。
当院は戦前の1939年、傷痍軍人のリハビリのために設立されました。戦後しばらくは結核の療養所として、昭和40年代からは整形外科をメインとした現在のような体制に移っています。