九州医事新報社 - 地域医療・医療経営専門新聞社

<病い>の語り(ナラテイブ)、疾患の物語 ―小林麻央さんのブログを読む―

にのさかクリニック バイオエシックス研究会 米沢セミナーより
(医療法人ひらまつ病院)ひらまつクリニック 鐘ケ江 寿美子

 人はその人生において個人の物語を生きている。科学的な証拠を重視し、曖昧な部分をできるだけ排除する医学、Evidence Based Medicine(EBM)だけでは、患者と1対1で向き合ったとき、いろいろな問題に対応するのは難しい。病をかかえて生きる病人の物語と対話を重視する医療、Narrative Based Medicine(NBM)の視点が必要となる。特に死に直面した人ではNBMは重要であり、その人は「いのちの物語」の主人公であると米沢慧氏はセミナーを始めた。

 セミナーでは昨年6月に34歳で亡くなられた小林麻央さんのブログが紹介された。彼女は2014年に乳がんと診断され、2016年6月の入院報道を機に夫、市川海老蔵さんが彼女の闘病を公にした。その後9月に彼女はブログ「KOKORO.」を開設したが、そのメッセージは多くの共感をよび、同年11月、英国放送会(BBC)の「今年の女性100人」に選ばれた。

 ブログ「KOKORO.」は『なりたい自分になる』というタイトルではじまる。「癌(がん)の陰に隠れないで」とある先生に背中を押され、ブログを始めた。「力強く人生を歩んだ女性でありたい」「子供たちにとって強い母でありたい」という小林さんの決意表明であった。

 はじめはがん告知のころを振り返っているが、18日目のブログ『大事な家族』では、ある日の家族の描写とともに、「この子たちのママは私ひとりなんだ、という喜びと怖さに、心がふるえた。絶対治す!」と誓う。

 その後、闘病について『がんばる がんばらない』、家族やブログの読者に対し『感謝とお詫び』など、アンビバレンスな心のゆらぎが見られる。

 しかし、病状の進行とともに、病の受けとめや家族への想いが変化する。

 5カ月経ち『感情』と題されたブログでは、「家族って何ができるとか何をしてくれるではなく、ただその存在が大事なのだと思います」。7カ月目には、順調に治らない自分のがんに対し「私はここまでになる必要があったんだと思うようになりました」と。

 その後も「KOKORO.」には1日1日を力の限り生きぬく姿が彼女のやさしさと純粋さをもってつづられた。

 『贈り物の時間』にある「笑顔で写真を撮ることは、リハビリでもあります」というあたたかく、幸せにみちた彼女の言葉には、死を意識し暮らす中にも〈いのち〉の回生が感じられる。最後のブログ『オレンジジュース』では、家族が絞ったオレンジジュースと彼女の笑顔に「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」とメッセージが添えられた。

 がんに侵されていても、彼女の〈いのち〉の健やかさが感じられる。

 米沢氏はエリザベス・キューブラー・ロスとデービッド・ケスラーの共著「ライフ・レッスン」を紹介した。

 ロスはがんの告知を受けた患者の心理過程を5段階で示した著書「死ぬ瞬間―死にゆく人々との対話」で有名である。「ライフ・レッスン」の冒頭には「人生とその生き方を知るレッスンにおいて、生がもっともはっきり見えている死に直面した人たちは大いなるレッスンをもたらす教師である」というメッセージがある。

 レッスンには「『ほんもの』のレッスン」、「愛のレッスン」、「人間関係のレッスン」、「喪失のレッスン」、「力のレッスン」、「罪悪感のレッスン」、「時間のレッスン」、「恐れのレッスン」、「怒りのレッスン」、「遊びのレッスン」、「忍耐のレッスン」、「明け渡しのレッスン」、「許しのレッスン」、「幸福のレッスン」、「最終のレッスン」の計15のレッスンがある。米沢氏はなかでも「明け渡しのレッスン」を重視する。「明け渡すとき、われわれはあるがままの人生を受け入れる」(明け渡しのレッスン)。

 小林麻央さんのブログを読み返す。ブログには彼女と彼女の家族や関係者が登場するが、そこには彼女のライフ・レッスンが紡がれ、「明け渡しのレッスン」へと導かれる。そして、ブログの読者は彼女の人生の物語に寄りそう役割を担う。

 ①小林麻央さん―②家族・関係者―③ブログ読者の3人が三角形を構成する支えあいのかたち(米沢氏はファミリー・トライアングルと呼んでいる)をとり、彼女は読者を3人目の人と意識することで、さいごまで「自分らしく」語ることができたのかもしれない。

 人生の最期を迎えている人に接するとき、彼らの心情の吐露(とろ)に耳を傾け、自分がささえあいの3人目であることを意識して「いのちの物語」にかかわることは、大いなるライフ・レッスンになることを再認識した。

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