現代社会を憂い、思うこと
明けましておめでとうございます。
新たな年が皆さまにとりまして、ご多幸の一年となりますことを心より祈念申し上げます。
さて、この一年を振り返りますと、例年にも増して、政治家や有名人のスキャンダルが週刊誌やワイドショーを賑わせた一年でした。
巷間言われておりますとおり、近年、政治家の劣化や日本人のモラルの低下は否めないところですが、他方において、マスコミのいかにも失言を引き出そうとするようなインタビューの仕方や挙句の果てには、一国の大臣を捕まえて、テストのごとき質問を投げかけるのはいかがなものかと思います。
揚げ足取りや言葉遊びのごときやりとりは、記者会見の本質からは大きく外れたものであり、また、編集権は情報を提供する側にあるとはいえ、一部の発言だけを抽出して繰り返し放送し、発言者が本来意図した趣旨が正確に伝えられない報道に至っては、憤りさえ感じます。
今年は今日の日本の礎を築いた明治維新から150年の節目の年ですが、かつて司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の中で、「人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ」と表現をし、寛容に生きることの意味を説きましたが、現代社会はまさにその逆で、政治家らに極端な清廉性を求めるなど、極めて他人に不寛容な社会です。
SNS時代を迎え、テレビやCMにもいちいち匿名によるクレームが寄せられ、放送局や企業もそれに過剰に反応し過ぎているのではないかとさえ思えることがあります。1億総監視社会とでも呼ぶべきか、1億人の目が発信する情報は瞬く間に拡散し、一旦拡散してしまうと、ことの真実とは別に情報が独り歩きしてしまうという恐ろしさがあります。
このような歪んだ社会の下では「事なかれ主義」が蔓延し、誰もが無難に振舞おうと、型にはまった人間しか育たないのではないかと危惧してしまいます。
今後益々厳しさを増すであろう国際間競争において、日本が生き残っていくためには、何より世界と正々堂々と戦えるタフな人材の育成が必要です。
先の総選挙で大勝した自民党の掲げる教育理念は「教育は国家の基本」です。
「働き方改革」もいいですが、新しい年を迎え、再び日本が世界に輝く国となるためには、先ず、安定的政治基盤の下だからこそできる本腰を入れた教育の再生に取り組んでいただきたいと思います。