高知県医師会 会長 岡林 弘毅

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 菅首相が内閣法制局の判断に従っており、適法との詭弁(きべん)を弄(ろう)している日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を拒否した問題であるが、果たして、適法かどうか考えてみたい。

 日本学術会議法第7条は、「会員は第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と定めている。ここで、「内閣総理大臣が任命する」という言葉尻だけを捉えれば、「任命権は首相にあるので、推薦されたとおりに任命する義務はない」というような解釈も成り立たないことはない。しかし、「推薦に基づいて」という前提がある場合は、文脈上、それに続く後段はその前提に拘束され、首相の行為は任命だけに絞られることになる。そもそも、門外漢に等しい首相が精査して105人もの会員をピックアップすることなど不可能であり、当然、そのようなことを求めてはいないことを前提にこの条文は成り立っているのである。

 法律の条文は、制定された趣旨を逸脱し、勝手な解釈が大手を振ってまかり通る危険性を常に孕(はら)んでいる。例えば、私どもに身近なものとして、医師法21条がある。同条は、「医師は、死体または妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届けなければならない」と定めているが、ここでも、「検案」の意味が歪められ、その対象を医療関連死にまで拡大解釈するという矛盾がまかり通っている。

 検案の述語本来の意味を辞典に求めると、「形跡、状況などを調べ考えること」となっており、出された案件調査にほかならず、法律用語としても「医師が死後初めてその死体に接し、死亡事実を医学的に確認すること」という意味の説明がなされており、生前診療していた患者の死亡確認を「死亡診断」ということと対比して、はっきり、区別している。ということは、決して、医療関連死の遺体までをも当事者の医師に義務付けたものではないことが分かる。

 このような例に見るごとく、当たり前のこととして長い歴史の中で許容されてきた解釈とても、文脈が無視されたり、言葉の意味が正しく理解されなかったりすることで、理不尽にも、勝手な解釈変更がなされることになるわけである。

 そもそも、法律の条文に解釈の違いなどあってはならないことであり、法制定に際し、言葉の表現だけではカバーしきれなくて誤解を招く恐れがある場合は、制定趣旨を注釈として付記することが求められるのではないかと愚考する。

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