長野県茅野(ちの)市、原村、諏訪市の3市村による一部事務組合が運営する「組合立諏訪中央病院」。八ケ岳や車山高原など豊かな自然に囲まれた茅野市にある324床の急性期病院だ。2020年春以降、この病院のウェブサイトで公開されている「新型コロナウイルス感染をのりこえるための説明書」が全国の医療者、住民から大きな注目を集めている。これまで地方版、医師編など、カテゴリーを変えた8点と要約版2点を公開。開始から1年を前に、制作を続ける玉井道裕医師、病院のサイトでの公開を決めた吉澤徹院長に、思いを聞いた。
正しい情報を分かりやすく
―制作のきっかけや狙いを。
2020年の2月上旬ごろから作り始めていたと思います。ただ、最初から説明書を作ろうと思っていたわけではありません。新型コロナウイルス感染症についての情報を調べ、自分なりに整理していたら、ある程度の分量になったので説明書としてまとめました。
普段から臨床に関して勉強したことのまとめをブログにアップし、後輩や他の医師にも分かりやすく伝えることを心がけています。今回はそれが生かされたのかなと思います。
きっかけは二つあります。一つ目は、新型コロナ関連の情報が多すぎて、正しい情報にアクセスするのが難しいと自分自身、感じたためです。一般の人であればなおさらです。そのため、分かりやすくまとまった、「これさえあればOK」というものを作りたいと思いました。
二つ目は、沖縄県立中部病院の高山義浩先生の情報発信を見たことです。県のコロナ対策専門家会議委員でもある高山先生は、新型コロナに関する情報を、SNSなどで発信。その中の一つの投稿で、「受け手に合わせて分かりやすく編集する」など情報を提供する側が注意するポイントを挙げていました。私は感染症の専門家ではありませんが、情報を分かりやすく伝えることはできると思い、説明書の形で発信することにしたのです。
「説明書」という名称にしたのは、普段から目にしている言葉で、なじみがあると思ったからです。今回の新しい感染症に出合った時も、まず説明書のようなものがあれば多くの方々に受け入れてもらいやすいのではないか、読みやすいのではないかと思いました。
―全編を通して、制作に当たって重視していることを。
誰にでも分かりやすく、親しみやすい内容で、誰が読んでも不快にならないように心がけました。新型コロナについてはネガティブな情報が多いので、せっかくなら読んだ後に「頑張るぞ!」という気持ちになれるようなメッセージも入れたいと考えました。
もともと、私は字がうまくないので、読んでもらえるように、じっくり一文字ずつ丁寧に書きました。きれいな文字ではないかもしれませんが、思いの込もった手書きの文字だったからこそ、メッセージとして届きやすかったのかなと思いました。
情報のインプットにかかる時間は約1週間。描きあげるのは1日程度です。仕事も毎日ありますし、家族の時間を犠牲にすることは避けたかったので、徹夜で描いています。それでも家族の協力なしには、説明書は誕生しなかったと思います。妻と娘に感謝しています。
時間をかけるのはインプットです。間違った内容を発信するわけにはいかないので、ファクトチェックのために他の医師にも見てもらっていました。作成の流れとしては、まずは情報をひたすら集めて、頭の中に入れます。そして、集めた情報を自分なりにそしゃくし、統合することで、新しいものとして誕生させるイメージです。説明書を作る前は、お風呂の中でボーッと考えて構想を練っています。構想さえできたら、後は一気に仕上げるという流れです。
差別偏見なくし医療者の助けに
―1月25日に公表された最新の「誰かの物語編」は、差別や偏見をなくすための訴えと「私達に力を貸して下さい」との言葉が印象的です。
この説明書を作り始めた時からずっと思っていたのは、①新型コロナの差別と偏見をなくしたい、②不安を抱えている人を減らしたい、③頑張っている他の医療者の助けになりたい、という三つです。
長野県内は全国の流行地と比較すると感染は落ち着いていましたが、それでも当院は県内の病院の中では多くの患者さんを受け入れてきたと思います。実際に新型コロナの患者さんに接して感じたことは、「新型コロナウイルス感染症」という同じ病気であっても、一人ひとり悩んでいることは千差万別であるということでした。
熱が出て、息が苦しく、だるい、といった症状で苦しむ方もいれば、子どもが学校でいじめられるかもしれないと不安を抱く人もいます。小さな赤ちゃんがいたり介護しなければいけないご家族がいたりする場合には入院が難しいですし、入院しようと思ってもペットの預け先が見つからない人もいる。悩みの種は人それぞれです。1年が経過し、なんとなく他人事として理解したつもりになってしまっている新型コロナを、自分のこととして改めて考えていただきたく、「誰かの物語編」というタイトルにしました。
外来の予約をされていた患者さんが、受診直前に新型コロナウイルス感染症にかかってしまい、入院された時には、もはや誰が感染していてもおかしくないと感じました。その方も、「まさか自分が感染するなんて!」と驚いていました。
ある日突然、自分が濃厚接触者であることを告げられ、検査によって感染していることが発覚。すると日常生活が一変します。心の準備も、物の準備もできないまま、家族と離れ離れになり、今まで経験したことのない隔離生活が始まります。
患者さんの中には「入院は何度かしたことはあったが、今回の入院が、今までの入院で一番苦しかった」とおっしゃる方もいました。症状はほとんどありませんでしたが、小さな個室から一歩も外に出ることができず、家族にも会えず、何もすることがない、というのは大変な苦痛だったようです。
情報不足でできる溝 架け橋となる発信を
―1年かけて情報発信を続ける中で、周囲の反応などを受けて難しさを感じたことと手応え、今後やろうと考えていることがあれば教えてください。
難しさを感じたのは、社会の不安や差別・偏見をどうしたら減らせるのか、ということです。心理面について主に取り上げ、年末に発信した説明書「年末ver.」は、一番苦労しました。その時に、自分が書いてきた説明書は知識の整理や自己啓発本的な要素では、ある程度の手応えはありましたが、差別や偏見をなくすという役割は難しいなあと感じました。
また、感染対策についても難しさを感じました。それぞれの職場や生活にはそれぞれ特有の環境や動きがあるので、「こうしたらいいですよ」と感染対策を発信しても、実際はできないということが多々ありました。
感染が起きた施設に出向いた時には、説明書のような一方通行のコミュニケーションには限界があると感じました。自分たちが地域に出て、お互いの顔が見える関係で、意見を言い合うことで解決する問題があると思っています。
相手を非難する前に相手の立場や状況を知ることで、偏見や差別は絶対に減ると思います。これからも情報がないために生じる溝があれば、その架け橋として情報を発信していきたいと考えています。
病院が責任を負い医師個人を守る
―院長として、病院のサイトに「説明書」を掲載する決断をされた背景は。
2020年春は新型コロナウイルス感染症が国内に広がり始めたばかり。マスコミに取り上げられることは多かったものの、恐怖をあおったり大変さを強調したりする情報ばかりで、一般の方々の行動指針になるような情報は少ないと感じていました。
この説明書はもともと玉井医師が個人のSNSに載せていたものです。それがリツイートされ、少しずつ広まる中で、病院などに問い合わせが入ってくるようになりました。新型コロナに関する情報は、日々更新されており、その時、正しいとされていることが、数年後に正しいとは限りません。それでも、その時点で正しいと思われることのエッセンスを伝えるこの説明書は意義がある。病院として内容に責任を負うことが、ネットでの情報発信で懸念される「炎上」や「誹謗(ひぼう)中傷」から玉井医師を守ることにつながると考えました。院内の感染症対策チームも説明書に目を通し、最終的に掲載を決めました。
もともと玉井医師は、若い医師への教育でも優れていて、評判の良い内科指導医です。コロナ診療も担当しており、最前線で経験しているだけに、この説明書は説得力があるのだと思います。言葉やイラストは穏やかでなじみやすいですが、現場に立つ医師の思いや願いがこの中にちりばめられています。
―反響などは。
公開後、全国放送のテレビで取り上げられると病院への問い合わせが殺到しました。通常1日500〜600件の病院のサイトへのアクセス数は1日2万件を超え、広報担当の電話は鳴りっぱなし。学校、行政、企業など全国のさまざまな組織から、使用許可の問い合わせが入りました。新型コロナに関する教育・啓発に使いたいとのことでした。
感謝の電話やメールも多くいただきました。県内だけでなく、思いもかけない他県の遠方の病院からお礼の言葉を寄せられ、驚いたこともありました。
情報が多い世の中で、地方の小さな自治体病院の医師が発信する説明書がこれだけ注目され、使用されるということは、いかに適切な情報が少なく、社会が困っていたかということを示していると思います。説明書は当院の電子カルテのトップページにも掲載され、適宜更新されています。印刷したものを院内にも掲示し、希望に応じて患者さんにも配布。患者さんからも分かりやすいと好評です。
若い医師が率先し仕事ができる環境を
―これからについて。
新型コロナ感染症という未知の感染症にこの1年間、病院一丸となって挑んできました。そんな中、玉井医師は一医療人として、率先して情報を発信してくれました。当院には、そのような若手医師が数多くいます。彼らを大変誇らしく思いますし、当院と地域医療を支えてくれていることをうれしく、頼もしく感じています。
私がこの病院に勤務し始めた20年余り前から、若い医師であっても意見や提案がしやすい文化が根付いていました。誰の意見であってもすぐに否定せず、話を聞いたり議論したりできる環境を、今後も大事にしていきたいと思います。
新型コロナによって人々の生活が変わり、地方への移住によって医療のニーズが変化する可能性があります。私たちの病院のスローガンは「あたたかな急性期病院」です。病院の運営基盤を整え、若い医師が集まり率先して仕事ができるような環境を整備して、質の高い医療、温かな医療を提供していくことが、どんな時代になっても大切だと思っています。