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重粒子線治療 「山形モデル」発信

重粒子線治療 「山形モデル」発信

山形大学医学部 東日本重粒子センター
名誉センター長(かやま・たかまさ)

1975年東北大学医学部卒業。
山形大学医学部附属病院長、同大学医学部長、
国立がん研究センター理事長などを経て、2020年から現職。
同大学名誉教授。

 2020年12月に開所した山形大学医学部東日本重粒子センターは、北海道・東北地方初の重粒子線がん治療施設だ。どのような思いで実現にこぎ着けたのか、名誉センター長の嘉山孝正氏に聞いた。

構想から16年で実現 高精度で病巣に照射

 構想から16年。北海道・東北エリアでは初となる重粒子線がん治療施設を開所させた。加速器によって炭素イオンを光速の約70%まで加速させ、がんの病巣に狙いを絞って照射する装置を配備。腫瘍の大きさや深さに放射線のピークを合わせられ、正常な組織を避けてピンポイントに集中照射することができる。従来の放射線治療に比べ副作用が少なく、難治がんに対しても治療効果が期待できるという。

 付属病院と接続しており、糖尿病や心疾患などの合併症がある場合も、合併症の治療と重粒子線治療の両方を受けられることも特徴の一つだ。

 2月から部分的に稼働が始まり、東北地方と新潟県などから主に前立腺がんの患者を受け入れている。東北がんネットワークの会長を務めている利点も生かし、近隣のがん診療連携拠点病院との協力体制も先立って構築した。「全国の医師が信頼して患者さんを委ねてくれることが一番大事。患者さんと向き合って、粛々と治療していく方向性でやっています」と語る。

山形にプライドを数々の苦難乗り越え

 「大都市の大学にもないオンリーワンの本物を持ってこようと思いました。学生がどのような反応をしてくれるかが、非常に楽しみです」。総工費は約150億円。一大プロジェクトを推し進めた原動力の一つは、有望な若手医師を山形県にとどめ、活躍してもらいたいという願い。若い人材の定着を通して山形の医療水準を充実させることを目指しており、構造を工夫して省スペースを実現するなどした。

 この東日本重粒子センターを、「山形モデル」として発信していく。「規模は小さくても、キラリと光るような施設にしたかった。それを山形でやって見せようと。地方の人々にもプライドを持ってもらいたかったという思いがあります」

 施設設計などにとどまらず、巨額な予算の折衝や行政との合意形成など対外的な役割も多く担ってきた。そのかいもあり、稼働間もなく100件超の診療予約が舞い込んだ。センター設置に伴って開発された装置は、韓国の名門・延世大学校にも導入されたという。

ドイツ時代の経験 余さず還元

 地方都市から世界に誇れる価値を―。この考えの背景にある経験の一つが、ドイツ留学時代にある。東北大学の非常勤医員だった1978年、ユストゥス・リービッヒ大学ギーセンに1年間留学。当時の欧州で脳神経外科の権威だったハンス・ベルナー・ピア氏に薫陶を受けた。

 大学の所在地やその周辺は人口が少ない田舎町だったが、格式高い音楽堂を擁していたり、ゲーテの代表作「若きウェルテルの悩み」の舞台になっていたりと、多くの「本物」に触れた。「地方でも都会でも関係ない」との思いを抱くようになり、山形にも「オンリーワン」を持ってくることができるはず、と考えた。

 神奈川県出身で、東北大学医学部を経て、初めて山形大学に赴任したのは1994年のこと。以来、この地に骨をうずめる覚悟で職務に当たってきた。「県民のためにという思いと使命感で今までやってきました」と振り返る。東日本重粒子センターは、その象徴的な存在となった。「若い医療者にはがんを治すために患者さんと誠実に向き合ってほしい。その後押しをする役目を担っていきたいですね」と、後進に施設のフル活用を託していく。


山形市飯田西2ー2ー2 ☎023ー628ー5404(代表)
https://www.id.yamagata-u.ac.jp/nhpb/

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