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連載:検証コロナ「あの時」《第2回》 福岡記念病院 上野 高史 院長

連載:検証コロナ「あの時」《第2回》 福岡記念病院 上野 高史 院長

就任直後にクラスター発生 貫いた「情報公開」の姿勢

 ピピピッ。4月2日、夕闇が迫る頃、胸ポケットの院内PHSが鳴った。「PCR検査は陽性でした」。地元保健所で働く知人の医療関係者から告げられた。福岡記念病院の看護師が、新型コロナウイルスに感染したことが確認されたのだ。「そうですか。わかりました」。上野高史院長は努めて落ち着き、電話を切った。

 看護師は1日に発熱の症状で同病院の夜間外来を受診し、2日夕にPCR検査を受けていた。感染症指定医療機関ではない同病院。患者を含め、関係者で初の感染判明だった。「感染自体は仕方がないこと。大事なのはここからの対処だ」。上野院長は腹をくくった。

 院長に就いてまだ2日目。顔と名前が一致しない職員の方が多かった。だが、トップとしてやるべきことは山ほどある。保健所の指示に従う態勢づくりや、濃厚接触者の抽出を急がせた。

 リストを保健所に出すと、3日から患者や職員の検査が急いで進められた。「これはクラスターになるかもしれない」。胸騒ぎがした。母体の社会医療法人の理事長である黒田康夫医師の診察室を慌ただしく訪れ、外来や救急搬送、手術を全て休止することを確認した。

 院内がにわかに非常事態となる中、上野院長の胸騒ぎは悪い方に的中していく。検査の結果、4日時点で患者2人、職員10人(1例目の看護師を含む)が陽性と分かった。院内クラスターの発生だ。大半の職員や患者が検査対象となった。陽性判定を受けた人は、無症状の人を含めて全て自院に入院した。一つの病棟に隔離し、患者や医療者のゾーニングを徹底した。

 陽性確定者は日に日に増えた。初めに分かった看護師と2番目の女性患者は、その後急激に症状が悪化。看護師は体外式膜型人工肺(エクモ)での治療のため、別の病院へ移った。14日には80代女性患者が院内初の死者となり、翌15日も別の患者が亡くなった。

 いつ、重症化するか分からない―。ウイルスの性質がほとんど分かっていなかった当時、入院患者やスタッフの間で一気に動揺が広がった。「分からない点も含めた情報共有が必要だ」。上野院長は1日2回、各部署の責任者らと、院内の状況や持ち場の問題点を報告し合う場を設けた。



 上野院長にはもう一つ気がかりがあった。マスコミ対応だ。「取材が押し寄せます。どうしますか」。黒田理事長に尋ねた。「上野先生はどう思いますか?」。逆に問われ、「逃げも隠れもしない方がいいでしょう」と答えた。業務負担は増し、病院がメディアにさらされることによるリスクも伴うが、「伝えるべき情報は公表し、丁寧に説明した方が良い」と判断した。

 4日から日々、陽性となった患者数などを病院ウェブサイトに載せた。メディアから取材依頼があるたび、記者会見などで疑問に答えた。

 マスコミに頻繁に露出したことで「副作用」も起きた。「福岡の恥だ」「無能な院長のせいで、マンションの資産価値が下がる」などのクレーム電話が絶えなかった。一部の電話には上野院長自ら折り返して耳を傾け、周辺の世帯には職員が手紙を携えて説明に回った。

 クラスターが収まってきた4月17日、同様にクラスターが起きた福岡市内の高齢者施設から、陽性患者を受け入れることになった。市内の感染症指定医療機関の病床が逼迫し、県が受け入れを求めてきたのだ。「医療資材の融通などでお世話になっていた行政に、少しでもお返しできるかも」

 その「男気」は裏目に出る。それまで一つの病棟に収容できていた陽性患者の一部を、別の病棟に移さざるを得なくなった。高齢者施設の患者は4人部屋に2人ずつ収容。看護師は防護服での看護に、より接触が密な介護が加わった。築き上げていたゾーニングも崩れた。

 結果、新たに受け入れた病棟で4月24日、職員1人の感染が判明する。目前に迫っていた外来診療再開は延期。再開できたのは、さらに3週間余り後の5月18日のことだった。


 病院を挙げて駆け抜けた日々から半年。今、救えなかった命への悔しさが募る。同時に貴重な教訓も得た。

 一つは適切な情報公開の重要性だ。新型コロナに限らず、院内で何かが起きた際、病院イメージが損われることを恐れたり個人情報に触れるリスクを懸念したりして、情報を隠しがちになるケースは少なくない。

 しかし福岡記念病院は、公に広く伝えるべき情報を院長が先頭に立って発信した。それによって、院内や地域の不安が無用に膨らむことを防げたと感じる。当時、職員の家族が「仕事に来なくていい」と職場で言われるなどの風評被害も相次いだ。全国で起きたこの問題では、報道を通じて現場の葛藤を訴えることができた。

 反面、メディア側の恣意的な編集によって発言がねじ曲がって報じられたこともあった。だが、内にも外にも隠し立てせず問題と真摯に向き合う姿勢。それが、「クラスター終息後に一般入院患者数が速やかに回復するなど、病院の早期信頼回復につながったのでは」と振り返る。透明性の高い病院運営は今、一つの強みとなった。

 苦い教訓となったのは、高齢者施設からの患者受け入れだ。もともと、自院の病棟や病室は古くて手狭。人員も必ずしも万全ではなかった。「だが、スタッフみんなの頑張りでクラスター発生後の押さえ込みがうまくいき、私にも変な自信が生まれていました。私の判断ミスです」と唇をかむ。

 反省を踏まえて速やかに改善に動いた。コロナ対策の公的補助金を使い、個室化改修などに着手。「私たちにはあの経験を今後の医療に生かす使命があります」

 さらに、今後も続くコロナとの闘いを見据えて思う。「コロナ診療の現場は、若い研修医にとって貴重な経験を積める場でもあります。多様な専門の研修医が適切に診療に関わっていけるよう、医療界全体で支えるべきです」。国内のコロナ診療の質の向上につなげるため、自らも福岡の地で実践していく。

[用語メモ]〈福岡記念病院でのクラスター〉
4月2日、看護師の感染が確認された。4月20日までに計17人の感染が判明。うち、高齢の患者2人が死亡した。クラスター発生に伴い、4月3日から5月17日まで、外来診療や救急搬送の受け入れを休止した。

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