国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター
鷲見 幸彦 病院長(わしみ・ゆきひこ)
1987年信州大学医学部大学院卒業。国立長寿医療研究センター臨床研究推進部長、同副院長、
日本医療研究開発機構長寿科学・認知症研究開発事業プログラムスーパーバイザーなどを経て、
2019年から現職。
認知症疾患の治療や研究に対し、多大な貢献を果たしてきた鷲見幸彦氏。鷲見氏が目指すのは、認知症患者を治す医療から「治し支える」医療だ。神経内科医としての歩みと共に、病院長としての今後の課題について聞いた。
医師としての基礎を培った信州大学時代
「中学時代に人体や生物に関する本を多く読み、高校の頃には医師になりたいと決めていました。人と直接ふれあう仕事をしたかったことも、理由の一つかもしれません」
故郷の名古屋を離れ、信州大学医学部へ進学。2年間の初期研修中は、さまざまな病院で臨床経験を積むこととなる。
「専門は神経内科でしたが、白血病や肺がんの患者さんなど、内科全般に対応。大学に戻ってからは神経難病の患者さんを多く診ることができました。信州大学時代に、神経内科の基礎と研究、内科医としての基礎を築けたと思います」
故郷の名古屋で認知症疾患に挑む
1990年に、希望していた故郷の名古屋大学の神経内科に入局。ちょうど神経内科が第1内科から独立した頃で、若い世代の医師が求められていた。
1994年には名古屋掖済会病院に赴任する。同病院は、1978年に東海地方初の救命救急センターを開設しており、名古屋市南部の救急搬送のほとんどが集まるこの病院で、鷲見氏は多忙な日々を送る。
「患者さんの多くは脳血管障害。神経内科は、神経や筋肉が原因で起こる病気すべてを扱う科ですので、神経内科医として大きく成長することができました。また、若い研修医が多く、彼らと接することで得るものも大きかったですね」
1999年、信州大学時代の恩師が国立長寿医療研究センターの前身である国立療養所中部病院の病院長として赴任したことから、同病院の神経内科医長へ。高齢化社会に向けて、本格的に認知症医療に取り組むこととなる。
2004年に国立療養所中部病院は国立長寿医療センターとなり、2010年に独立行政法人に移行。国立長寿医療研究センターとなって「もの忘れセンター」を開設した。鷲見氏は、もの忘れセンター神経内科部長として、中心的役割を果たしていくこととなった。 もの忘れセンターとなったことで来院者は大幅に増加。2011年には西病棟を改修し、30床の入院部門も開設された。もの忘れセンターの役割は診断、治療だけではない。行政や企業と共に、認知症の人を支える社会的な仕組みづくりを実践している。
理想は元気で長生き
「高齢者は複数の病気を抱えているので、専門的に深く診ると同時に、科を越えて横に広く診ることが必要となります」
長寿医療研究センター全体の理念でもある自立した生活を送り、元気で長生きできる高齢者を増やすことを実現するために、高齢者に多いロコモティブシンドロームやフレイル、サルコペニアの対応として、2017年に「ロコモフレイル外来」を開設。2018年2月には「ロコモフレイルセンター」も発足させた。
さらに眼科、耳鼻咽喉科が連携して総合的に五感を評価して、健康長寿を伸ばす「感覚器外来」の設置、認知症初期集中支援チームや認知症サポート医を育成する「長寿医療サポートセンター」での研修も活発だ。
研究開発に関しても「認知症先進医療開発センター」と協同して、2018年に少量の血液でアルツハイマー病の診断を可能にする研究を発表。もの忘れセンターのデータを使用した認知症研究に貢献した。
「高齢者の心や体に寄り添った研究や治療を、これからも続けていきます」
国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター
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