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患者さんとの出会いが医療人としての原点

患者さんとの出会いが医療人としての原点

徳島赤十字病院 後藤 哲也 院長(ごとう・てつや)
1981年徳島大学医学部卒業。米テネシー大学ノックスビル医療センター、
JA徳島厚生連農村健康管理センター、徳島赤十字病院第一内科部長などを経て、
2019年から現職。

 血液内科を専門とし、長年、白血病やリンパ腫の免疫療法に取り組んできた後藤哲也医師。今年4月に徳島赤十字病院の院長に就任した。医師としてのこれまでの歩み、今後の抱負や課題について伺った。

―造血器腫瘍の免疫療法の研究がご専門ですね。

 免疫グロブリンを研究している研究室に入ったのがきっかけです。大学卒業後、2年半ほど留学していたのですが、その際にモノクローナル抗体に出合いました。現在、その技術を応用したさまざまな種類の医薬品がが活用されています。

 私は多発性骨髄腫に対する特異的な抗体医薬を作製する研究をしていました。残念ながら私自身の研究は実用化には至りませんでしたが、同じものを目指していた世界中の研究者の努力によって薬が開発され、その薬で患者さんを治療しています。感慨深いものがありますね。

 血液内科は、診断から治療まで一貫して携われるところにやりがいがあります。

 例えば、白血病の場合、一定の症例は薬での治療が可能です。難しい病気でも、内科医の武器である薬物療法で治すことができる可能性があるのです。

 もちろん、患者さんを助けられず、悔しい思いをしたこともあります。特に骨髄移植は、薬で治らない患者さんに希望をつなぐ治療方法なのですが、かつて四国では骨髄移植が可能な病院は愛媛県立中央病院しかありませんでした。

 ですから徳島県内で白血病になっても、移植を受けるためには他県に行かなければならなかったのです。そのような状況を解決すべく、当院に造血幹細胞移植チームの立ち上げを行い、県内で治療できるよう体制を整えました。

―印象に残っていることを教えてください。

 大学病院にいた頃、30代の慢性骨髄性白血病の患者さんを診たことがあります。当時、開発が始まっていたインターフェロンを処方したのですが、あまり効かずに、すぐに急性転化期に入りました。

 本来なら同時に骨髄移植も考えるべきですが、まだ県内では骨髄移植ができなかった。お子さんのことを気にかけて、他県での移植という決断ができないまま、結局脳出血を起こしてお亡くなりになりました。ご家族はもちろん、私もショックを受け、「何とかしなければならない」と強く思ったのです。

 その後、高い効果が期待できる新薬が登場し、ほぼ薬で治療することが可能な時代になりました。ただそれでも、一部の方には薬が効かないことがあるのです。

 前回の悲しい結果となった患者さんから13年後。同じ年代の患者さんが急性転化期に移行しました。今回は骨髄移植ができ、その後、寛解して現在も元気でいらっしゃいます。前回救えなかった経験をしていただけに、よく記憶しています。

―今後は。

 救急を軸とした急性期病院である当院には、急性期に特化した機能と、充実した教育研修制度という強みがあります。ただ地域の医師不足は深刻で、院内で医師を抱え込む時代ではありません。県全体の医療に貢献していける医師の育成にも努めます。

 当院には「臨床研修看護師制度」という看護師の教育システムがあり、研修医は看護師と一緒にこの研修を受けています。

 お互いに名前を覚え、人間関係を構築する中で、多職種がチームとして力を出し合える、フラットな組織をつくっていきたいですね。

 現在100床あたりの退院患者数が全国的にも多く、病床稼働率が99%に近い状況にある中で、今後は職員の働き方を変えていかなければなりません。患者さんに優しい病院であるためには、まず職員にとって優しい病院でなければならない。そう思っています。

徳島赤十字病院
徳島県小松島市小松島町井利ノ口103
☎0885―32―2555(代表)
http://www.tokushima-med.jrc.or.jp/

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