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幸福な人生を支える慢性期医療を目指して

幸福な人生を支える慢性期医療を目指して

医療法人 平成博愛会
院長(なかにし・よしみ)
1981年徳島大学医学部卒業。
中村市立市民病院、徳島大学医学部第三内科(現:呼吸器・膠原病内科学分野)、
三野町国民健康保険町立三野病院(現:三好市国民健康保険市立三野病院)院長などを経て、
2019年から現職。

 長い間、地域の人々に必要とされる病院づくりに尽力してきた中西嘉巳氏が、今年4月に徳島平成病院の新院長に就任した。それまでの急性期医療中心から慢性期医療へ、なぜ新たなフィールドに踏み出すことになったのか。その経緯と、これからの抱負とは。

急性期医療に取り組んだ30年を経て

  徳島大学卒業後、中村市立市民病院や社会保険栗林病院(いずれも当時)などで内科医としての経験を積んだ中西氏。転機は、1989年に三野町国民健康保険町立三野病院(現:三好市国民健康保険市立三野病院)の院長就任だった。

 「当時は学位論文をまとめると、地方の病院に3~5年赴任するのが通例でした。その通例に従い赴任した三野病院は、当初、数年程度の予定だったのです。というのも、実は研究が好きだったので将来は研究者としてやっていきたいという夢がありました。しかし、三野病院に赴任したことをきっかけに地域住民と交流するようになり、地域医療や予防医療に深く関わりたいと思い始めたのです」

 地域の公民館で高血圧や糖尿病に関する講演を行ったり、実際に地域住民と一緒にみそ汁を作ったり、減塩食を提案したり。さまざまな交流を積み重ねた中西氏。住人の本音が見える距離で、予防医療にも取り組むようになった。

 「患者としてではなく、人と人の付き合いとして住民の中に入っていくことが、非常に楽しく、当初5年勤務の約束だったはずが、自分から頼んで三野病院で働き続けることに」

 気付けば30年もの歳月を三野病院で過ごすことに。「当初三野病院は、地域の中でもあまり存在感のない病院だったのですが、地域になくてはならない病院に育て上げたいという目標を掲げて活動。その結果、急性期医療の病院として徳島県の災害時後方支援病院の指定も受け、県西部のリウマチ膠原病(こうげんびょう)の拠点病院となることができました」

住民の声が契機に

 そんな経緯から長年予防医療や急性期医療に関わってきた中西氏が、慢性期医療に目を向けるきっかけとなったのが、交流の中で聞いた住民たちの本音だった。

 「地域のお祭りに参加したり、住民との食事や酒の席で『寝たきりになってまで長生きしたくない』という声をよく聞きました。その後、お会いしていた60代の方が20年たって80代になり、胃ろうなどによって生きている姿に遭遇するようになりました。そのたびにかつての会話が思い出され、患者さんの幸せとは何なのかと考えるようになりました」

 加えて、昨年3月に厚生労働省が「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を発表したことも一つのきっかけとなった。本人による意思決定を基本にした上で、本人が意思を伝えられない場合には家族や医療チームとの入念な話し合いの上で本人が望むであろう医療・ケアを提供すべきだと提言している。

 急性期医療だけでなく慢性期医療の充実の必要性を痛感した中西氏は、グループ代表の武久洋三先生の後押しもあって、徳島平成病院で新たな一歩を踏み出すことを決意したのだという。

慢性期医療の充実へ

 今後、徳島平成病院をどのような方向へ導こうとしているのだろうか。

 「まだ手探りですが、慢性期医療を充実させる上で必要な在宅訪問診療の開始と、慢性期医療のケアに欠かせない看護師の育成から着手しようと思っています。目標は、慢性期に必要とされるチーム医療の形を作ることですね」と中西氏は語る。

 50代でマラソンを始め、トレーニングがてら日々10㌔の道のりを自転車で通勤するという新院長。エネルギッシュな挑戦は、いま始まったばかりだ。

医療法人 平成博愛会 徳島平成病院
徳島市伊賀町3―19―2 ☎088―623―8611(代表)
https://tokushimahp.jp/

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