九州医事新報社 - 医療・医学の〝今〟を伝えて62年

地域医療という新たなフィールドへ

地域医療という新たなフィールドへ

名古屋大学大学院医学系研究科 消化器内科学
教授(ふじしろ・みつひろ)

1995年東京大学医学部卒業。国立がんセンター(現:国立がん研究センター)中央病院、
東京大学医学部附属病院光学医療診療部部長・准教授などを経て、2019年から現職。

 平成の30年間を東京を中心に活動し、消化器内視鏡の分野における世界最先端の研究を続けてきた藤城光弘氏。2019年1月、故郷である愛知県に戻り、今後どのような視点や方向性で研究や医局運営を行っていくのか。これまでの歩みと思いを聞いた。

内視鏡で人の役に

 豊橋にある実家は祖父の代から歯科医を開業。一つ年上の兄も歯科医を目指し、ゆくゆくは家を継ぐという状況の中、幼い頃からなんとなく医師に…という思いはあった。「人に感謝されて手に職のある仕事として医師の道に進みました。当時は特別な理想があったわけではありません」と、静かな口調でにこやかに話す藤城氏。

 東京大学医学部を卒業し最終的に方向性を定めたのは、内科研修医として日立製作所日立総合病院に勤務していた時だった。

 「ある先生から、『内視鏡は自分がしっかりとした技術を持っていれば、早い段階でがんや病気を見つけて自分の手で治すことができる。内科の中でも診断から治療まで自分の手で完結でき、やりがいがある』と聞いたことが大きかった」

 日立総合病院時代は、内視鏡検査の機会に多く恵まれた。次第に、内視鏡をマスターしたいという思いが強くなる。

 「いざ患者さんの前に立って操作すると思うようにいかず、ふがいなさを感じることもしばしば。時間のある時に内視鏡を動かしたり、写真を見直したりするうちに内視鏡の魅力に取りつかれていったのです」

ESDの普及に貢献

 1997年、藤城氏は東京大学医学部附属病院の第一内科(現:消化器内科)に入局するとともに、国立がんセンター(現:国立がん研究センター)中央病院の消化器内科のレジデントになった。3年間のうち最初の1年半は病理部や放射線部、病棟の内科などをローテーション。後半は、消化器内視鏡にどっぷりとつかって、専門的な内視鏡のトレーニングを受けた。

 ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)が開発されつつあったのもこの頃。当時はEMR(内視鏡的粘膜切除術)の亜型と考えられていたが、従来のEMRとは異なる高度なテクニックが必要とされるため、2004年にESDが命名され、2006年には早期胃がんの治療として保険収載された。

 カテーテルなどは輸入品がほとんどだが、現在、内視鏡メーカーの世界シェアの95%以上は日本のメーカーが占める。「オリンパスや富士フィルムなどの国内内視鏡メーカーと改良を重ね、日本から世界に新しい技術を広めたいという思いでやってきました。現在、日本では内視鏡の普及率が高く、早い段階で多くの胃がんが発見されます。この状況は世界的に見ても珍しいのです」

地域医療への挑戦

 藤城氏が准教授を務めた東大病院光学医療診療部は、大学病院の中央診療部門。光学医療診療部に所属したことで、消化器内科だけでは見えなかったものが見えるようになったという。

 今回の名古屋大学大学院医学系研究科消化器内科学の教授就任は、50歳を目前に控え新たなフィールドへのチャレンジの始まりだ。

 その挑戦の一つが、地域医療への貢献である。名古屋大学には消化器内科の関連病院が55もあり、広範囲にわたって東海地方の地域医療を支えている。その診療を臨床研究につなげることで、ビッグデータとして集積。関連病院と共に、研究を加速していきたいと考えている。

 また、地方の中核病院では、人手不足により医局員が疲弊している。その現状が少しでも良くなるような環境を整えていきたいとする。「名古屋大学の消化器内科が発展していくよう、最大限の努力をしたいと思います」

名古屋大学大学院医学系研究科 消化器内科学
名古屋市昭和区鶴舞町65 ☎052—741—2111(代表)
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medical_J/laboratory/clinical-med/internal-med/gastroenterology/

この記事を読んだ方は他にこんな記事も読んでいます

最新の記事情報が取得できます

Twitter

「いいね!」ボタンを押すと、最新情報がすぐに確認できるようになります。

Instagram

フォローする」ボタンを押すと、最新情報がすぐにツイート上で確認できるようになります。

コメントはこちらから

メニューを閉じる